福島県田村郡|文蓮社良補浄誉善浦上人によって開山された由緒あるお寺
お問い合わせ
施設詳細
施設名 | 専光寺(せんこうじ) |
---|---|
所在地 | 〒963-3401 福島県田村郡小野町小野新町舘廻87 |
駐車場 | あり |
送迎バス | - |
最寄り駅・お近くのバス停 | ・JR郡山駅 ・福島交通バス「仲町(小野町)」 ・ 福島交通バス「小野本町」 |
詳細な交通アクセス | 【新幹線 / 東京駅】 会津バスに乗り換え:郡山駅より会津バス→小野IC→タクシー|約45分 【バス】 小野駅前 約6分 / 後川(平田村)約1時間 / 石川駅 約55分〜小野荒町バス停 【車】 【タクシー】 【レンタカー】 トヨタレンタカー 郡山駅新幹線口 ニッポンレンタカー 郡山駅西口 日産レンタカー 郡山駅前 |
※掲載している情報は、葬儀のデスクが調査したものです。詳細・最新の情報は専光寺(せんこうじ)へ直接お問合せくださいませ。
情報に誤りを発見された場合は、ご連絡をお願いいたします。お問合せ
宗派:浄土宗の顕通院専光寺
小野山にある顕通院専光寺は浄土宗の寺院です。いわきの浄土宗名越派本山・専称寺で修行され、名僧の誉れ高き文蓮社良補浄誉善浦上人によって開山されました。開基は蓬田小左衛門です。
住宅地にあるお寺は400年前から今も人々から慕われており、1861年に建立された鐘楼が立つ巨石の周囲には、500体近くもの羅漢石仏が安置されています。四国八十八か所霊場の御砂踏み巡礼もできます。
歴史
1590年(天正17年)に豊臣秀吉の奥羽仕置によって、伊達政宗公の臣下であり小野城の城主であった田村氏は所領を没収され、戦国大名として終わりを遂げました。
1589年に田村梅雪齋・右馬頭の父子が自刃、その話を同郷(石川郡平田村)であった時の地元の有力者・蓬田小左衛門により聞かされ、そして菩提を弔うよう懇請・永住を切望された善浦上人は、小野にとどまり草庵を建て、1596年に開創。
関ヶ原の合戦の翌年、1601年に田村家が没落し、蒲生郷成公(柴田勝家に仕えた戦国武将)が新しく城代となり、専光寺は菩提寺となりました。蓬田氏の寄進もあり、1625年までに本堂を含めた寺構えが完成したのです。
しかし1702年、元禄元年の9月19日の夜半、初夜勤行の際に紙燭が原因でお寺は全焼、責任を感じた当時の住職である良運上人は滅罪生善のために2年半後に断食を行い、二十日後である2月15日に遷化(逝去)されました。それをうけて、地元の人々によって専光寺はめまぐるしい速さで復興してゆきます。
京の大仏師・安入によって造られた阿弥陀如来に、増上寺第三十六世・祐天大僧正が開眼供養を執り行いました。その5年後に本堂が完成しました。それは現在においても仮本堂として残っています。
専光寺に眠る田村氏は、現在の小野町に福島・いわき・相馬の中継地点としての基礎をつくりました。人が集まりやすいように道をつくり、人々が生活を営める環境を作ったのがこの田村氏といっても過言ではありません。専光寺は立ち並ぶ民家の中にあり、人々の生活の場のど真ん中にあります。故に、そこで暮らす人々はもちろんのこと、旅の途中で訪れた人々の心の拠り所として専光寺は人々になくてはならない存在だったのです。
文化財
専光寺の御本尊は、祐天大僧正御開帳の阿弥陀如来像です。
行事:薬師堂縁日
年中行事は毎年8月28日に「目」の如来様として親しまれてる薬師堂縁日があります。
8月17日の観音堂にて行われる馬頭観世音祭礼では、白馬が石段を駆け上がり、1月25日には文蓮社良補浄誉善浦上人を偲んだ、百万遍御忌会が行われます。
レビューを書く | |