神道と仏教ではその成り立ちからして異なるため、死生観もまったく違います。
神道では森羅万象に魂が宿り、それは神でもあり、人の暮らしと共に存在し続けます。
一方仏教では、森羅万象といえば宇宙である大日如来でありそこに戻るため、また仏たちがいる浄土に生まれ変わるために、人々は輪廻転生を繰り返します。冥福とは、浄土を目指す故人の幸せを祈ることです。
神道では故人の魂はこの世に留まり家を守る神様となるので、追悼儀式である神葬祭では冥福ではなく、御霊の平安を祈ります。
神道と仏教の大きな違いである死生観を詳しく解説します。
神道と仏教の死生観の違い
神道と仏教の根本的な違いとして死生観が挙げられます。
神道において肉体は魂の依代であり器にしか過ぎず、その器が無くても魂は永遠にこの世に留まり生き続けます。国、地域、家庭、それぞれの場所で守り神となって留まり、生者とともに生き続けるのです。
仏教における輪廻転生もある意味では魂の永遠をあらわしているようですが、最終目標は六道から解脱して浄土に生まれ変わることで、この世には留まりません。仏教ではこの世は苦しみに満ちた世界であり、そこに住むすべての人々を救済するために仏教があります。
神道では亡くなった故人は氏神となり家を守る
伊勢神宮は天照大神の怒りを鎮めるため、菅原道真公を祀った太宰府の天満宮は暗殺され怨霊化したと謂われる道真公の魂を鎮めるために建てられました。神社は神様、不慮の死でこの世を去った魂の怒りを鎮めるために建てられ、怨霊は祀られることで守り神へと変わります。
神道は、日本の風土と生活の中で祈りを捧げることから始まった宗教です。大雨が降れば闇淤加美神(くらおかみのかみ)と闇御津羽神(くらみつはのかみ)がお怒りになられた、疫病が流行れば不慮の死を遂げた偉人の怨霊だと信じられていました。
「魂は生きている人と同じようにこの世で生き続けるため、時には悪さもする。ならば手厚く祀ることで守護神となってもらおう。」との考えが神道にあります。
また、古代日本では氏族(血縁の集団)が地域ごとに社会を構成しており、その連帯感が同一の祖先を敬い、祖先の御霊を氏族の神(氏神)として家や地域で祀るようになりました。
現在では死後、御霊に新たな依代として霊璽(仏教での位牌)に移っていただき、家の中の社(祖霊舎)で祀ることで故人は家の氏神となるのです。
仏教では亡くなった故人は輪廻転生して生まれ変わる
我々がいる世界は仏教で言うところの六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の中の人間道です。
悟りの境地である浄土・仏様たちがいる世界に転生するには、現世で功徳を積み、この六道から解脱しなくてはなりません。しかし、解脱できずにこの世で悪さをすると人間道のまま、もしくは下の道に転生することになります。
解脱しない限り転生を繰り返すのが仏教です。仏教はこの輪廻転生・六道から解脱する方法を説き、個人の魂の救済を目的としています。
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