「終活」をすることで、より豊かな人生を送ることができると言われる時代となりました。葬儀のデスクは、「お葬式」や「終活」に関する適切な情報を発信し、お葬式や終活に関する良き「相談員」になれるよう努めています。
そこで、30〜70代の男女122名に、自身や大切な人の「死」や「終活」をテーマにした映画の中で、好きなものや印象に残った作品を聞きました。
自分なりの「死生観」を考えることで、みなさまのより良い「終活」につながれば幸いです。
もくじ
「死生観」をテーマにした映画ランキング
「死」や「終活」をテーマにした映画の中で、好きなものや印象に残った作品を自由記述で3つまで回答してもらいました。対象者は、30〜70代の男女122名です。
まずはランキング「TOP10」を発表します。
「死生観」をテーマにした映画~ 1位『おくりびと』、2位『リメンバー・ミー』、3位『死ぬまでにしたい10のこと』
【映画に関するアンケート調査】死生観や終活を描いた作品 株式会社グッドオフ
1位となったのは「お葬式」の現場で働く「納棺師」の仕事をテーマにした映画、『おくりびと』でした。なんと、約半数の人が印象に残ったと回答しています。
2位はピクサー・アニメーション・スタジオの大ヒット作である『リメンバー・ミー』。死者の国と生者の国をつなぐ、家族の愛を描いた作品です。
そして3位は、『死ぬまでにしたい10のこと』。若い母親が突然余命宣告を告げられてもなお、人生に悔いを残さないよう力強く生きる姿を描いた作品です。
その他にも「お葬式」テーマにした『ゆずりは』や『お葬式』、余命宣告を受けても絶望せずに最期まで人生を楽しもうとする主人公を描いた、『最高の人生の見つけ方』などがランクインしています。
かつては、「死」について考えることは「縁起でもない」とタブー視される傾向にありました。しかし、そもそも「終活」とは自身や大切な人の死を見据え、より人生を豊かに生きるためのものです。
普段はあまり意識をする機会がないかもしれませんが、「死生観」をテーマにした映画を通じて、自分の人生について考えてみるのもいいのではないでしょうか。
さて、死生観をテーマにした映画は多数存在しますが、ここからは葬儀のデスク編集部がおすすめする映画を紹介します。
葬儀のデスクおすすめ映画〜『21グラム』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)生きるとは、命とは何か?
葬儀のデスク編集部おすすめの映画は、『21グラム』。メキシコを代表する監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの作品です。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督 は「命とは」「生きるとは」をテーマに多くの映画を撮り続けています。
とても重たく、胸をえぐられそうな映画ですが、「死生観」を考える上では避けては通れないものに気付かされるようなストーリー。
結婚をしていたり、子供がいたりする人にはぜひ見て欲しい作品です。
『21グラム』のあらすじとポイントを解説
『21グラム』は、無意識に目を背けていたことを突きつけられるような作品です。見た後に、なかなか現実に戻ることができないくらい強く印象に残ります。
来日インタビューで監督は「メッセージを込めるよりも、提起した問題について考えてほしいと思ったんだ。」と話したそうです。
あらすじとともに、ポイントを解説します。
3人の登場人物の共通点、そこから垣間見える死生観
『21グラム』は3人の登場人物の想い、それぞれの命が交差するストーリーです。
〜あらすじ〜
交通事故で夫と2人の娘を突然亡くしたクリスティーナ、クリスティーナの夫の心臓を提供されたポール、交通事故を起こしたジャック。
クリスティーナは深い悲しみの中で犯人のジャックを憎み、ポールには難しい感情を抱き、最終的には孤独に耐えられずポールと関係を持つ。
ポールは提供された心臓が悲惨な事故によるものだと知って罪の意識にさいなまれ、遺族であるクリスティーナの力になりたいと思っている。妻がいるのにも関わらず、クリスティーナと過ごし、彼女に頼まれて犯人を殺そうとする。
ジャックはそれまで犯してきた罪を反省し、妻や子どもたちのために生まれ変わろうと頑張っているときに事故を起こし、神を疑う。罪の大きさに耐えらず、家族の元から離れてしまう。
それぞれ全く違う人生を送り、尺度や価値観も異なる3人には共通することがあります。これを読み解くことがこの映画が語りかける死生観の鍵です。
思うように生きることは難しい
まず、3人の共通点として挙げられるのは、それぞれ欠点や弱さといえる部分があること。
クリスティーナはお酒とドラッグに頼ってしまうこと、
ポールは周りの気持ちを考えずに自分勝手に行動してしまうこと、
ジャックは過去に窃盗などの犯罪を繰り返し、自分の罪から逃げてしまうこと。
交通事故をきっかけに、それぞれが自分の不甲斐なさを痛感します。
「自分には生きる価値があるのか?」
「もう生きていけない。」
このギリギリの命に見えるのがそれぞれの死生観。
もちろん人間誰しも弱い部分はあります。理想通り生きることはできず、重大な何かが起こったとき、理想とのギャップを直視するのかもしれません。辛くてどうしようもないときに、自分の弱さが露呈する。その弱さがさらに苦しみを大きくする。負のループが描かれています。
「自業自得だ」と一蹴するのは簡単ですが、果たしてそうでしょうか。
クリスティーナと同じ立場になったら、自分の弱い部分が自分自身を壊していくことは不思議ではありません。
事が起きて初めて湧き出た感情を先に予見することはできません。自分や家族の死を考えても、それがいつどのように起こるのかは無限の可能性があります。
3人が感じる「なんで自分がこんな目に・・・」という思い。そして答えを探せば探すほど苦しみは増していきます。
「家族を交通事故で亡くすのはあなたのせいじゃない。」
「臓器移植の経緯はあなたの責任ではない。」
「誰だって事故を起こす可能性がある。」
と説得しようとしても、何の意味もありません。
すでに事故は起こり、人が亡くなりました。彼女、彼らはその理由を知りたいのですが、答えや理由なんてあるはずもなく、それが死生観を浮き彫りにします。
生と死か、正か誤か。苦しみを誰にも言えない
彼らの苦しみが大きくなっていったのは、自分の感情を誰とも共有できなかったからだと言えるでしょう。
クリスティーナはそばにいてくれようとした父や妹を拒否しました。「ひとりになりたい。」と言い残しポールと関係を持ったときですら、彼に夫や子どもの死を口にすることはありませんでした。
ポールは妻の反対を押し切って心臓の提供者を調べ、その事実を知ったときの気持ちを妻に話すことができませんでした。妻には「嘘で固めた夫婦生活だ。」と話しています。クリスティーナにも本心を打ち明けることができません。
ジャックは自分の子どもを見ると事故を思い出し、罪の重さに耐えられなくなり、家族とは一緒にいられないという気持ちを妻に話せません。家族が寝ている間にそっと家を出ました。
それぞれが痛みを内に秘めたまま、救いようのない苦悩の中にいました。簡単に話せることではありません。
たとえ家族だとしても、いや、家族だからこそ話せなかったのでしょう。自分の気持ちを理解してもらえなかったら・・・と思うと、口にするのが怖くなるのではないでしょうか。
それぞれは家族を信頼していないのではありません。
しかし生きるのが難しいと思うくらいの苦しみの中、自分が家族に否定されたら、それこそ生きていけません。
本当の孤独になるのを避けるために、「この人にはきっと分からない。」と自分から殻に閉じこもってしまったのだと考えられます。
それでも人生は続く。生死からは逃れられない
3人とも「死んでもいい。」とさえ思い、生きることを諦めていました。
クリスティーナはどんどんお酒とドラッグに溺れ、ポールは再移植が必要だと分かったとき、治療を拒否。ジャックを殺そうとして揉み合いになり、ジャックではなく自らを撃ちました。さらに、ジャックは獄中でも自殺未遂をしています。
3人ともだんだんと生きる気力を失い、自ら命を縮めるような行動をしますが、すぐには死ねません。
クリスティーナはポールの子どもを妊娠していることが判明。ポールは最終的に亡くなりますが、子どもが残されます。
「それでも人生は続く。」
劇中で繰り返されるフレーズですが、どんなに悲しみに暮れていても、生きたくないと思っても人生は続いていくのです。
ラストシーンはクリスティーナのすっきりとした表情、ポールの穏やかな表情、ジャックの温かい表情が映し出されます。それぞれが苦しみから抜け出るのかもしれないと思わせる最後でした。
誰も責められないのかもしれない
交通事故を起こしたジャック。犯人だから彼が悪いと思いたいのですが、彼の背景を理解すると責めることができなくなってしまします。確かに彼は前科がある。そしてひき逃げは決して許されないことです。
しかし、事故の前ジャックは生まれ変わろうと必死でした。妻や2人の子どものため、何とかしてよい夫や父になろうとしていたのです。事故による家族への影響を心配し、パニック状態でその場を離れてしまいました。
事故の後も自ら出頭し、自分のしてしまったことに苦しんでいました。ポールに「殺してくれ。」とまで言ったのです。何かが起きたとき、誰が見てもその人に非があったとしても、その人を悪人として責められるのかと考えさせられる映画です。
まとめ〜どうやって生きるかが大切なのか簡単にはわからない
監督はインタビューで「生と死は背中合わせにあるもの。僕は生と死、光と影のコントラストに惹かれるんだ。だから“生”というテーマを選んだんだ。」と話しています。
1901年にアメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルは、人は死ぬ直前と死んだ後では体重が21グラム違うと発表。つまり、人の魂は21グラムであるとしました。(この研究には賛否両論あり)
『21グラム』というタイトルは、魂の重さを表しています。
死を通して生を考える映画ですが、「人生観」なんて優しい言葉で語ることもはばかられます。
人間はもっと複雑で汚くて卑怯で、人には言えない部分をたくさん抱えている。
その中で生を考えるということは、目を背けたいことと向き合わなければなりません。
この作品は「目を背けているそれぞれの死生観」に直接問いかけいているようでもあります。
人は完璧ではないし、たとえ誰かの人生を壊してしまったとしても。それを受け止めたうえで、自分を肯定し続けなければ生きていられないのです。
映画を通じて、登場人物の追体験をすることで、心が動き、言いようのない胸のつかえを感じるかもしれません。
その体験と感覚は、自分にとっての大切なもの、失いたくないもの、自分という変えられない存在を浮き彫りにしてくれるのではないでしょうか。
「それでも人生は続く。」