『家族が余命宣告をされたとき1』では心の変化について焦点をあて解説を行いました。
心の変化を理解した上で、実際に「家族が余命宣告をされた時」何ができるかを考えてみましょう。
すぐにでも行動に移すことができる内容です。自分にできそうなことから始めてみましょう。
■QOL家族との最期のむかえ方 もくじ
- 家族を看取るということ|QOLの考え方
- 家族が余命宣告をされたとき1|心の変化を見つめる
- 家族が余命宣告をされたとき2|具体的に何ができるか
- 危篤状態だと言われたとき|家族にできること
- 家族を看取るときが来たら|最期のときとその後の流れを解説
- 多くの残された家族が思い悩むこと|後悔ではなく希望へ
もくじ
家族にできることは大きく分けて3つ
余命宣告を受けた家族にできることは大きく分けると3つになります。
1つ目は病気や治療に関すること。本人と一緒に理解し納得した上で治療や療養のサポートをすることです。
2つ目は本人の気持ちに寄り添うこと。本人の話を聴いて気持ちを共有したり、本人がやりたいことをしたり、なりたい自分に近づけたりできるようサポートすることです。
3つ目は亡くなるときのことや葬儀について話し合い、準備することです。
セカンドオピニオンという選択
「宣告された余命自体に疑問がある」
「治療方法が納得できない」
「最期をお願いするには今の主治医では何となく不安だ・・・」
このように、治療や医療従事者などに違和感を覚えている場合は他の医師に相談することもできます。
セカンドオピニオン(第2の意見)といいますが、「がん」ではセカンドオピニオン外来を行っている病院もあるほどです。セカンドオピニオンを提案すると、今の主治医との関係が悪くなるのではと心配する人は多いでしょう。
しかし、主治医も本人や家族が納得できなければ治療は行えません。同じ見解でも違う医師が説明すると納得できた、他の医師と話してみて今の主治医のことが理解できたということもあります。
まずはしたいこと、次にできること
余命を宣告されると、「周りに迷惑をかけないように」「色々なことを諦めなくては」と思ってしまう人が多いようです。
「何かしたいことはある?」と聞いても「特にないよ・・・」と答えてしまうことも。特に高齢者はこの傾向が強いです。
しかし、宣告をされる前はどうでしょうか?
「ここに行きたい」
「これをしたい」
「あれを食べたい」
「あの人に会いたい」
何らかの希望があったのではないでしょうか。
単純にしたいことを大切にしていきましょう。本人があまり主張しないようなら、家族で話し合って提案してみても良いです。
例えば「オーストラリアに行きたい」という希望があったとします。まず医師と相談し、その実現を目指します。もし実現が難しい場合でも、できることは無限大です。
オーストラリアの映像を一緒に観る、旅の計画を立ててみる(旅は計画だけでも楽しいものです)、オーストラリアの料理を食べるなど。
できることから探すのではなく、したいことを大切にしましょう。
それと同時に「なぜしたいのか?」ということにも注目してみてください。
オーストラリアに行きたいという希望。それが新婚旅行の思い出の地だから、昔から憧れの場所だからなど、理由によっても方向は異なります。
「おいしいアンパンが食べたい。」など小さな希望でもかまいません。
「今観ているドラマは最終回まで観たい。」と言った人もいます。
本人の「したいこと」によって治療方針が変わる可能性もあります。「特にないよ」という場合も、関わっていくうちにしたいことが見つかるかもしれません。
目標は達成できなくても、それに向かって本人と家族が頑張れたという思い出はかけがえのないものになるでしょう。
逆に「これができないなら生きていないのと同じだ。」と言う人もいます。今までしていた仕事ができないとき、よく聞かれるセリフです。元気だったころと同じことはできないかもしれません。
しかし、そのやりがいは何のためにしていたのでしょうか?「本質」を見つめれば、別の方法でもやりがいや生きがいにつながるかもしれません。
「アドバンス・ケア・プランニング」や「リビングウィル」
病状や治療方法に納得できたら、具体的にどのような治療を望むかを決めましょう。
人生の最終段階における医療の決定プロセスを「アドバンス・ケア・プランニング」といい、医療などの指示書は「リビングウィル」といいます。
詳しくはこの記事を参考にしてみてください。
医師や看護師などの医療従事者とこれからどのよう治療をするか、生活はどうしていくかを具体的に話し合い決めていきます。
在宅で支援が必要な場合は訪問看護や介護、医療用品の準備なども相談で、経済的なことも相談して良いです。治療だけでなく、あらゆる不安に対して相談できると考えてください。
話し合いは納得できるまで繰り返し行うことができます、途中で希望が変わっても問題ありません。
入院しても家族にできることはたくさんある
病院では完全看護なので、基本的に家族の介助は必要ありません。好物を差し入れして、洗濯物を持って帰るくらいしかできずに、面会に来ても何となく手持無沙汰・・・という場合もあるでしょう。
しかし、本人をよく知る家族だからできることがあります。例えば見える場所に家族やペットの写真を飾る、カレンダーを用意して面会の日を書いておく、タブレット端末などを用意してオンライン面会も良いかもしれません。
ちょっと変わったニット帽を用意していたご家族もいました。その姿に看護師も癒され、ときどき新しくなるので、スタッフも楽しみにするほどです。
「母は寝ているときに声をかけられるのを嫌がります。肩をすこし触ってから声をかけてください。」と具体的なアドバイスをする方もいます。
本人と医療従事者の心の距離を縮めるような工夫の効果は絶大です。本人が入院中どんな毎日を過ごしているか、何を感じているか。想像して、少しの工夫で変わることがあります。
亡くなるときやその後の話もしてみる
死を連想させるようなことは話しにくいかもしれません。
しかし状態が悪くなればなるほど、話すことは困難になるでしょう。「もっと元気なときにきいておくべきだった・・・」と後悔するご家族も多いようです。
タイミングを見計らうのは難しいかもしれませんが、まとめて話し合う必要はありません。
「最期は誰がそばにいてほしい?」
「遺影は〇〇のときのにする?」
「お葬式に呼ぶ人は誰?」
日々の会話の中で少しずつ話題にできると良いですね。家族である程度話し合って、本人に確認するのもひとつです。
ひとつひとつ丁寧に確認することは、死を早めることではありません。死への準備はみんなの安心へつながります。
もちろん本人が話したがらなければ、話さなくてよいです。さらっと切り出してみて、ダメそうなら無理強いはしないのが大切です。
危篤状態になったらしてほしいこと、会いたい人
亡くなるまで数日から数時間となったとき、して欲しいことや会いたい人を確認しておきます。逆にこれだけはやめてほしい・・・ということもあるかもしれません。
ある人は家族に「私の前では嘘でもいいからもめ事を起こさないで欲しい。」と言いました。
「妻と二人きりになりたい。」と言った人もいます。
危篤の連絡をする人とその方法
医師が危篤であると判断した際に、誰に連絡をするかも決めておきましょう。「最期に誰がそばにいるか」ということです。
多くは親、配偶者、子ども、孫ですが、関係性や住まいの場所などによって全員とは限りません。知らせるべき友人や仕事や、幼い子どもがいるなど、すぐに駆け付けられない人もいるでしょう。
病院では緊急連絡先が決まっており、本人に最も近い人ひとりに連絡します。その人がどのように他の家族に連絡するか、事前に決めておきましょう。
一人が複数人に連絡すると時間がかかります。連絡網のように「連絡係」を決めておくなど病院から連絡を受けた人の負担を軽減する方法がおすすめです。キーパーソンが少しでも落ち着くことができ、それぞれが病院へ向かう時間を短縮することができます。
着たい服
亡くなった後、病院では死後の処置をしてくれますが、(家族を看取るときがきたらへリンク)その際に持参した服を着せてもらうことができます。
死後硬直が始まると着替えができません。退院後に葬儀社にお願いすることも可能ですが、多くは有料です。
危篤状態になってから着たい服に関して看護師などから話があることも多いですが、準備が間に合わないことも。比較的余裕のある時に希望を聞いてみても良いでしょう。
連絡してほしい人
亡くなった後に誰に連絡をするかも相談しておきたいことのひとつです。高齢者は親戚関係や友人関係が変化している場合があります。家族が年賀状など確認しても把握しきれないケースも多いです。
葬儀の規模によっても連絡する範囲が変わるでしょう。お別れをしたい人が葬儀に参列できるよう、事前に交友関係なども確認しておくことをおすすめします。
遺影はどうするか
葬儀の準備で迷うことのひとつが遺影。数ある写真から選ぶのは一苦労です。家族によっても意見が分かれ、なかなか決まらないこともあります。
何枚か用意して本人に選んでもらうのもよいかもしれません。
どのような葬儀がいいか
まずはイメージから共有しましょう。
「あったかい感じがいい。」
「お花が多い方がいい。」
「棺にはこれを入れて欲しい。」
このような簡単な希望でも構いません。好き色や音楽、お花なども聞いておくと、より故人らしい葬儀を執り行うことができます。
本人を独りぼっちにしない
亡くなった後の段取りに奮闘するあまり、本人を置き去りにしてしまうことがあります。確かに葬儀の準備は楽なものではありません。家族や親戚との調整も大変でしょう。
しかし生前の準備は葬儀を円滑に行うためのものではありません。あくまで本人や家族が死を受容できるよう、心の準備をするためのもの。本人を置き去りにしないよう、十分に気をつけることが重要です。
支える家族も無理はしない、サボってもいい
「家族として全身全霊で最後まで関わっていたい。」
このように感じる人も多いでしょう。できるだけのことをしたいという気持ちは大切です。
しかし、それで倒れてしまっては意味がありません。無理はせず、自分の体調なども大切にしましょう。
あるご家族は「疲れちゃったから、明日の面会はお休みさせてね。」と患者さんに言いました。
患者さんは「あの子もね、仕事があるでしょ。だから毎日来るのは大変だと思って。休んでくれると私も安心できるわ。」と仰っていました。
お互いに心配し気遣っています。家族なのですから、「今日はサボっちゃったよ!」という日があっても良いのです。亡くなるから特別な関わりをするのではなく、亡くなるからこそいつも通りの関わりが大切になることもあります。
変わってしまっても、できなくなっても、その人の本質は変わらない
余命宣告を受けた家族に献身的なサポートをしても、病状の悪化は避けられません。元気なときと比べると、できなくなることも多いでしょう。性格が変わってしまったと感じることもあるかもしれません。家族のことが分からなくなってしまうこともあります。
しかし、それは表面上のことです。その人の本質は変わっていません。その人の素敵な部分は失われていないのです。ただ見えにくくなっているだけなのです。
どんな様子になっても、大切な家族であることには変わりありません。そして家族として行ってきたこと間違っているせいで病状が悪化するのではありません。
誰が悪くて、何が悪かったのか。本人の体調が悪化するとどうしても考えてしまいます。強いて言うなら病気が悪いのです。誰のことも責めない気持ちを忘れないようにしましょう。