家族が余命宣告をされたとき1|心の変化を見つめる

投稿:2021-03-03
家族が余命宣告をされたとき1|心の変化を見つめる

家族の命に限りがあると知ったとき、だれもがどうしようもない気持ちでいっぱいになるでしょう。驚き、悲しみ、怒り、憂鬱、色々な感情が入り混じり押し寄せているのではないでしょうか。

「辛いのは本人だから自分はしっかりしなくては・・・」と思っていませんか?

家族にできることを考える前に、まずは家族や自分の気持ちと向き合ってみましょう。ありのままの感情を受け入れると、自然と答えが見えてくるかもしれません。

■QOL家族との最期のむかえ方 もくじ

余命宣告とは

余命宣告とは、「あとどれくらい生きられるか」を明らかにすることです。

病気の完治が難しくそれが原因で亡くなるだろうと推測される場合、医師によって示されるもので、科学的なデータや医師の経験から判断されます。

民法や医療関係の法律では、医師が診察後に患者に対して病名を含めた診断内容、病状、予後などを知らせることが義務づけられています。

告知義務はあるものの、その時期や方法は医師の裁量に任せられており、余命宣告が患者や家族に悪影響を及ぼすと医師が判断し、宣告をしなかったもしくは遅らせたケースも。

裁判事例もあり、余命宣告は医師にとっても大変難しい判断であるといえるでしょう。

余命の長さはどれくらいか

余命の長さは、あと2年などの長い期間から、数か月と言われることもあります。ある程度の経過を見通せる「がん」などの場合は長い期間、突発的な事故や病気は数時間という場合も。

あくまで医師が予測した期間であり、必ずしもその通りになるとは限りません。

2018年に亡くなられた女優の樹木希林さん。彼女が全身がん(乳がんの全身転移)を公表したのは2013年です。このとき余命宣告について明言していませんが、「いつ死んでもおかしくない」という発言から、何らかの告知は受けていたと考えらえます。

しかし、亡くなる4か月前にカンヌ国際映画祭に出席し、亡くなる2カ月前まで映画に出演していました。

自分の死を目の前にした気持ち|死の受容プロセス

余命宣告を受けた家族のために何ができるのか。まずはその人がどのような気持ちになるのかを知ることから始めましょう。

宣告を受けた家族も似たような経過をたどると言われています。アメリカの精神科医エリザベス・キュブラー・ロスが1969年『死の瞬間』で死の受容プロセスを提唱しました。このプロセスには個人差はあますが、こんな風に変化するのだと知っておけば、「今はこういう時なのだな」と気持ちを受け入れやすくなります。

否認と隔離

「まさか自分がそんなことになるとは。あり得ない。」と思っている状態です。

とても驚いたときに「本当に?」「嘘でしょ?」と口にする人も多いでしょう。まさに、その気持ちです。

毎日の生活の中で人は、自分が死ぬとは思っていません。明日を生きようとしているのですから、死ぬということを無意識に遠ざけています。

自分にとって重大なことであればあるほど受け入れるのは困難になりでしょう。「誤診なのでは?」「あの先生の言うことは信用ならない」などと思い、周囲の見解と食い違うことも。

ここで大切なことは、本人を「独り」にしないことです。医師に検査結果を見せられ科学的に説明されれば、事実であることは否定できません。

しかし、本人の心の中では「嘘だと信じたい」という気持ちがあります。本人の声に耳を傾け、どれだけ現実離れした発言をしても否定はしないでください。

家族もきっとかなりのショックを受けているでしょう。「そんなの信じられない。」という気持ちを共有すれば良いのです。

怒り

「何で私なの?!」と思っている状態です。

事実であると認めると、次に「なぜ他の人ではなく、私なのか?」という気持ちになります。「あれが悪かったのか、このせいなのか・・・」と考えても、残念ながらこの疑問に答えはありません。

すると見るもの全てに苛立ちを覚えるようになります。

医療従事者や家族に理不尽なことを言って困らせるかもしれません。「人が変わってしまったようだ。」と感じることもあるでしょう。

しかしこれは死を目の前にした心の反応のひとつです。

家族としても「なぜ大切なあの人なのだろう・・・」という気持ちがあることでしょう。

「もっと早く病院に行くよう説得すればよかった。」
「症状を見逃したのは自分のせいではないか。」
と思うかもしれません。

怒りの感情が強いと、コミュニケーションが難しくなります。

ひとつひとつの言動に動揺するのではなく、「この人は何を求めているのだろうか。」を考えたら、違うものが見えてくるかもしれません。怒りの時期は本人の求めているもの、本心に気付きやすいときでもあるのです。

取り引き

「きちんとしていれば願いがかなうのではないか。」と思っている状態です。

この期間は短く、表面化しにくいのではっきりと認識できないことも多いようです。「できる限りわがままは言いません。だからもう少しだけ生きさせてください。」と神様にお願いしたことを打ち明ける人は少ないでしょう。

しかし、その約束が果たせなかったとき、本人は大きな恐怖感や罪悪感を覚えます。

直接的なアプローチは難しいですが、「あなたがどんな状態であっても、私はあなたを見放したりしない。」ということが伝えられたら、本人の心は穏やかになるかもしれません。

抑うつ

これまでのものを失ったことに対しての「反応抑うつ」と、これから失うものへの「準備抑うつ」があります。身体的な衰弱が進んできたころに起こる感情です。

今までしてきた仕事や家庭内の役割だけでなく日常生活動作も難しくなり「自分は何もできなくなってしまった。」と思います。

また、それにより家族に負担をかけていることに対しても心を痛めてしまう負のスパイラル。

「このままどんどん何もできなくなっていく。」
「自分に価値がなくなっていく。」
という気持ちを抱えることも。

このとき心配事を具体的に整理して対処するのもひとつです。

例えば、「自分が入院している間、家には誰もいなくなり住めない状態になってしまう。」という心配に対し、定期的に家族が自宅の手入れをする。

「貯金が底をつくのではないか。」という場合は、病院や行政に医療費について相談するなどです。

その他にも、「できること」に注目するのもよいでしょう。

「まだこうやってプリンを食べられるんだから。」
「孫の顔は忘れていないでしょう?」

ここで大切なのは完全に元気になってもらおうとしないことです。本人は大切な家族とお別れをするという悲嘆を抱えています。これは悲しむなと言って解決することではありません。悲しいことなのです。

家族もきっとそうでしょう。

「毎日良いことを考えよう、素敵なことを見つけようとしても、どうしたってお別れする日のこと考えてしまう。」

それは当たり前のことで、大切な感情なのです。この感情を分かち合うことこそ死の準備となります。特別なことはいりません。

ただ隣に座り、手を握ったり、髪をなでたり。ただその空間をともにするだけで良いのです。

受容

寝ている時間が長くなり死がすぐそこまで近づくと、感情は遠ざかり長い旅路の前の最後の休息のときがきます。私たちが考える「受容」という言葉とは少し異なります。

「準備ができました」という積極的な気持ちではなく、自分の世界の環を小さくして、今いる世界と切り離していくようなイメージです。

これまで死に対して心の葛藤をし、周囲から受け入れられた場合はこの段階にたどりつけると、ロスは説明しています。

「好きだった音楽が聴きたくなくなる」
「人に会いたくなくなる」
などの感情が起こります。

一方で、あらゆる情報を減らしゆっくりと休みたいと願うことも。「ひとりにして欲しい。」と言うこともあります。

家族としては突き放されたような、居てもたってもいられない気持ちになるかもしれません。

しかし、本人は休みたいのだなと思えれば自分を責める必要はなくなるでしょう。

「いよいよだな・・・」と感じると、悲しみがこみ上げます。本人の前で取り乱してよいのか、どうやってこの気持ちと過ごせばよいのかと動揺してしまうでしょう。この時期は本人よりも家族の方が辛い時期なのかもしれません。

医療従事者はそれを理解して、準備をしています。不安を打ち明け、相談しても良いのです。辛い気持ちを抱え込まず、吐き出しましょう。

希望は失われない

希望は失われない

死の受容プロセスは完全なものではありません。

心の反応には個人差があるからです。環境などによっても気持ちは変わります。病気による苦痛がどれだけ緩和されているかも大きく影響するでしょう。

ロスはこのプロセスと並行して常に人は希望を持っているとも説明しています。

「明日になったらすっかりよくなっているのではないか。」
「今日は気分がいいから、ずっと生きられるような気がする。」

理屈ではない希望が必要な反面、それが感情を難しくしているとも記しています。

しかし、希望がユーモアになったり、悲しみから離れられる瞬間を作ったりもします。これを共感できるのは、一緒に生活してきた家族です。他の人は反応できないことでも、家族なら笑いに変えられるのです。

そして面会をして帰るときには「また明日ね」と小さな約束をしてみてはいかがでしょうか。この約束は本人にとっても家族にとっても支えになることでしょう。

大切な人もあなたも、ありのままで(まとめ)

余命宣告を受けた家族の死を受け入れる。簡単なことではありません。人間は生き物なのですから、死に抗いたいと思うのは当然のことです。

死を受け入れることがゴールだと決めつけてしまうと、それができない家族や自分を否定したくなります。

死と向き合っている、それだけで家族も自分も頑張っていると思って良いのです。

「今のあなたでいいのですよ」と言われたら安心する人も多いのではないでしょうか。どんな感情も否定せず、「そういう気持ちなんだね。」と認めることが大切なのです。

著者:葬儀のデスク編集部
葬儀のデスク編集部
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