家族を看取るということ|QOLの考え方

家族を看取るということ|QOLという考え方

家族の死に立ち会う日を想像したことはありますか?

祖父母、親、配偶者、子どもなど、誰が亡くなるかによってあなたに与える影響は大きく異なるかもしれません。具体的に考えるのはそれだけで辛いことでしょう。

しかし人間は誰しもいつかはが亡くなります。避けては通れないのが家族との死別。

QOLという考え方は誰の死においても大切な概念です。QOLを通して看取りを考えてみましょう。


ゴールは想像できても、道のりに不安がある〜QOLは道しるべになります

苦しくて悲しみに満ちた死を望む人はいません。あなたや家族は「穏やかな」「安らかな」「温かい」などの言葉で修飾できる、心が安定した最期を望んでいるでしょう。「自分らしい死」と表現する人もいます。

すべての生命活動が停止する瞬間をゴールだとすると、多くの人にとってそのイメージは難しくありません。

しかし、ゴールへ向かう道のりのイメージはどうでしょうか?
亡くなるほど弱っている状態だから、原因が何であれ苦しいだろうと思っていませんか?
自分は辛い思いをしている家族を支えられるだろうかと心配になっていませんか?

看取りへの道のりを考える上でQOLという概念はあなたの道しるべになるでしょう。

 QOLとは

QOLとは「Quality of Life」の略称です。Qualityは「質」という意味で、日本語でも「クオリティー」とそのまま使うこともあるので分かりやすいのではないでしょうか。

Lifeは命がありそれが失われるまでの間の全てを含む言葉です。日本語に同じ概念の言葉がないので、「生命の質」「生活の質」「人生の質」などと訳されます。

全く同じ経験をしている人はいないので、Lifeとは「その人がその人として生きていること、その人の人生そのもの」ととらえることができます。

 WHOによるQOLの定義

1994年にWHO(世界保健機関)はQOLを『一個人が生活する文化や価値観のなかで、目標や期待、基準、関心に関連した自分自身の人生の状況に対する認識』と定義しました。QOLの構成領域を「身体的領域」「心理的領域」「自立のレベル」「社会的関係」「生活環境」「精神性/宗教/信念」の6領域に設定し、個人のQOLを測定可能なテストを作成。

  • 自分の生活の質をどのように評価しますか?
  • 毎日の生活はどのくらい安全ですか?
  • 必要なものが買えるくらいお金を持っていますか?

などの質問で構成されています。

質問数が多く、患者さんの負担になること、有用性を疑問視する声があることから、日本ではあまり使用されていません。

 QOLを自分の言葉で表すと?

先述したWHOの定義で、ピンとくる方は少ないのではないでしょうか?

実は、QOLは医療や介護現場で多く用いられているのにも関わらず、定義が明瞭でありません。しかし、あえて解釈の幅が広い定義にしているのだとも考えられます。

WHOは世界共通の尺度を作成しましたが、そもそも、住んでいる地域でも考え方や価値観などは大きな差があるのが実状です。

インフラ整備が遅れている場合、清潔な水を手に入れるのさえ難しい人がいたと仮定しましょう。その人たちと日本人を同じ尺度で測ることはできるでしょうか?

きっと同じ尺度で測ることはできないでしょう。

QOLの定義を理解することよりも、「QOLとは何だろう?」とそれぞれが考えることの方が重要です。

「健康な状態でいるかどうか」
「生きがいを感じているかどうか」
「自分に価値があると思えているかどうか」
など、それぞれの定義があってもよいのかもしれません。

ちなみに葬儀のデスクでは「自分自身を肯定できる」だと考えます。

 QOLを高くできれば苦しいだけではなくなる

 QOLを高くできれば苦しいだけではなくなる

たとえ病気が進行していて症状が辛くても、その人が大切にしているものや生きがいなどが尊重されていれば、単に苦しみに耐えているだけではなくなります。

想像してみてください。

寝たきりになって、思うように食べることもできない。体はだるくて、痛みもある。でも「あぁ、生きてるな。生きててよかったな。」と思えたらどうでしょうか?

苦しみの中だからこそ得られる喜びも大きいかもしれません。末期のがんを患う60代後半の女性でこのように仰った方がいました。

「私ね、外交官だったのよ。毎日忙しかったけど、仕事は楽しかった。若いころはバリバリだったのよー。でもね、こうやって入院して思ったの。娘たちが毎日来てくれて、おしゃべりして過ごすの。何でもない話。時間がとてもゆっくり過ぎるの。今までの人生で、一番のんびりしてる。なんて幸せな時間なのかしらと思うわ。娘たちが私のことを大切に思ってくれているのが分かる。そして、私もありがとうって言える。この状況で幸せだって言うの変かしら?」

彼女がこのような気持ちになったのは、緩和治療の効果があり苦痛が少なかったこと、ご家族の関係が良好だったこと、治療費の心配がなかったことなども大きな要因と言えるでしょう。

しかし、逆に体がそれほど辛くなくても、孤独を感じていたり、経済的不安を抱えていたり、罪の意識にさいなまれていたりしたら、どうでしょうか?

QOLの向上はマイナスを減らしプラスを増やすこと

身体的苦痛や心配事を極力減らし、その人が笑顔になれるような瞬間を増やす。これによってQOLは向上できます。家族だからこそできることがたくさんあるはずです。

死にゆく人に寄り添い、向き合うことで見えてくることがあるでしょう。大それたことをする必要はありません。

連続テレビ小説を観ることを楽しみにしている患者さんがいました。
ご家族は「この時間になったらNHKを付けてください。」とテレビに張り紙をし、ご家族も同じ番組を視聴して面会をしていました。
「今日のあれ笑っちゃったよね。」と楽しそうな会話が生まれていたそうです。

QOLとリビングウィル、アドバンス・ディレクティブ

患者さんの価値観や意向を明らかにすることで、その人にとってのQOLが見えてきます。その方法として「リビングウィル」や「アドバンス・ディレクティブ」があります。

「リビィングウィル」とは生前の意志で最期の時における医療に関する事前指示書です。

「アドバンス・ディレクティブ」はその意思を決定する過程の話し合いのことで、厚生労働省は「人生会議」と名付けました。

最期の時にどうありたいかは、その人の価値観に大きく左右されます。話し合いを通じて、病気に対する正しい理解をし、患者さんの価値観を掘り下げ、周囲の人々が何ができるかを明らかにしていきます。

別に詳しい記事がありますので、参考にしてみてください。

 QOLと尊厳死

最期のときを考える上で外せないのが「尊厳死」です。延命治療をしないことと理解している人が多いのですが、この概念も実はあいまいなもの。

尊厳を守ろうとしたとき、マニュアルだけでは不十分です。最期のときに至る経緯は患者さんごとに異なります。その個別性に沿って初めて守られる部分もあります。その人それぞれの尊厳のある死があるのです。

これに関しても別に記事がありますので、参考にしてみてください。

坂本龍馬とQOL 

江戸末期の志士、「坂本龍馬」。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、龍馬の死生観についてこのように表現されています。

『世に生を得るは、事をなすにありと、龍馬は人生の意義をそのように截断(せつだん)しきっていた。どうせは死ぬ。死生のことを考えず事業のみを考え、たまたま途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬというのが、龍馬の持論であった。』(『龍馬がゆく』第8巻)

自分が生まれたのは何かを成し遂げるためだということですが、これがまさにQOLと言えるのではないでしょうか。龍馬が「事を成す」と言うととても大そうな感じがしますが、龍馬の謙虚な人柄を考えると、「事」の大きさには言及していないと思われます。

それぞれが人生において「成す事」があり、それに向かい何をするかが大切なのです。龍馬は事を成し遂げることに執着していないことも分かります。

その人が納得している状態がQOL(まとめ)

QOLは定義にとらわれるのではなく、その人の体や心がその人らしくあることというイメージが大切です。

自分のQOLを想像してみてください。

  • 何をしている時、体が休まりますか?
  • どんな時、喜びを感じますか?
  • どんなことにやりがいや生きがいを感じますか?
  • これだけは絶対に外せない!と大切にしていることはありますか?

その人がたとえ病に伏していても、辛いことを少しでも減らし、生き生きとできることを増やす。人間は誰しも完全に納得することはできないかもしれません。

しかし納得できるように心を寄せ、協力すること。これが家族を看取る上で最も大切なことなのです。

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