「尊厳死をしたい」と大切な人が言ったら、あなたは何を思うでしょうか。
尊厳死が具体的にどのようなものか分からない、最期がどのような状態になるのか不安だ、家族として何ができるだろう・・・。心配は尽きないかもしれません。
家族として死にゆく人にできることを解説します。
■尊厳死を考える~もくじ
- 尊厳死1.尊厳死とは何か|尊厳死の歴史や安楽死・自然死との違いを解説
- 尊厳死2.尊厳死・安楽死をめぐる議論|日本と世界の現状を解説
- 尊厳死3.尊厳死を迎えたいと思ったら・・・|あなたの尊厳が守られるためにすべきこと
- 尊厳死4.大切な人が尊厳死を望んだら|家族にできること
- 尊厳死5.大切な人を看取る|最期のときがきたら
もくじ
まずは「話してくれてありがとう」と感謝を伝える
あなたとどのような関係であっても、尊厳死の希望を伝えてくれたのは信頼の証です。頭ごなしに否定したり、取り乱したりする人には打ち明けられません。
また最期にあなたにそばにいてほしいということでもあります。まずは「話してくれてありがとう」と伝えましょう。動揺して泣いてしまうかもしれません。
それでも大切な人の最期の選択に関われる感謝の気持ちを表せばよいのです。
尊厳死とは
実はこの言葉、実態があるようでない言葉なのです。尊厳死には明確な定義が存在せず、様々な意味で用いられているからです。尊厳死について深く知りたい人は別の記事を参考にしてみてください。
尊厳死を望む人に対して家族ができること
尊厳死を望む人にできることは何でしょうか。特別な仕事をするというより、寄り添うことが重要になります。細かく解説します。
尊厳死の真意を知ろうとする
その人が「尊厳死」という表現をしたのなら、真意を確認する必要があります。
また「穏やかに死にたい」「自分らしく死にたい」など尊厳死を連想されるような表現をした場合はその言葉を大切にしてください。あえて尊厳死という言葉に当てはめる必要はありません。
死を語るのははばかれることでしょう。
しかし決心をした人にその話をするのは悪いことではありません。迷っている、悩んでいる場合は一緒に考えてほしいから打ち明けたのです。
どちらにせよ、知ろうとすることから始めましょう。
実際に「どうしてそう思ったの?」とは聞きにくいかもしれません。相手は責められているように感じる可能性もあります。
「尊厳死をしたいと思うんだね」「無駄な延命はしたくないんだね」など相手が口にした表現をそのまま返しましょう。
時間が経ってしまった場合でも、「この間尊厳死をしたいって言ってたね」「あなたが思う死についてもう少し聞かせてほしい」などと切り出せば相手は自然に話してくれるでしょう。「私はあなたと一緒にいるよ」と言うのもよいかもしれません。
なぜそう思うのかを深める
人工呼吸器などの延命を希望しないという意味なのか、今後一切の治療をしないという意味なのか、苦痛がないことを最優先にして欲しいという意味なのかなど、大まかな希望がつかめたならその理由を確認しましょう。
「もう思い残すことはないよ。これだけ頑張って生きてきたんだから、最後は穏やかに逝きたいね。家で死にたいけど、色々考えると病院のほうが安心だね。]
こう話したとしましょう。苦痛に対して恐怖があること、在宅を希望しているものの、家ではうまくいかないと考えていることが分かります。
そこからもう少し深めてみます。
「家だとどんなことが心配なの?」
「家族に迷惑がかかるだろ?仕事もあるのに。病院ならプロがいるから何かあってもすぐ対応してもらえるし」
在宅は家族の負担が大きいことと十分な医療が受けられないのではという心配があるようです。
苦しくないようにという願いが強く、それを医療が十分な施設なら可能ではないかと考えいることがわかりました。
「家でも訪問看護とかヘルパーさんとかにお願いして、病院と変わらない体制が整ったら、家がいい?」
「そりゃあ、そうだよ。チコ(犬の名前)もいるしね。でもそんなことできないだろ?」
この会話で、苦痛の緩和がしっかりできて、家族をサポートする体制が整えば在宅を希望するということが分かりましたが、しかしそれは難しいとも考えているようです。
このように、少しずつ深めていくことが大切です。
昨日と今日では希望が異なることもあるでしょう。それも否定せず「まだ迷っているんだな。気持ちは変わるもんなんだな。」と受けとめてあげることも大切です。
素直な気持ちを表現する
大切な人の死を身近に感じ、悲しみや不安に襲われているあなたの気持ちも表現しましょう。
「あなたがいなくなると思うと悲しい」
「最期に取り乱してしまうのではないかと怖い」
「あなたが望むような死のお手伝いができるのか心配」
辛い気持ちを隠す必要はありません。悲しいのはその人を思っているからこそです。大切だからこそ失うのが怖いのです。気持ちを表現することは、「あなたは私にとって大切な人です」と伝えることになります。
具体的な希望を確認する
持病の悪化や高齢などで死を身近に感じている場合はさらに具体な希望を確認しましょう。これに関しては別の記事で解説しているので参考にしてください。
自分ひとりで抱えきれなかったら誰かに相談する
家族の相談は家族にしにくいものです。お互いが同じ苦しみや悲しみに対面しているとき、その人に「辛い」とはなかなか言えません。
家族のカウンセリングを行っている病院もあります。看護師などの医療スタッフに相談してみましょう。また臨床宗教師という病院で活動する宗教家もいます。
家族が複数いる場合は役割分担を考える
配偶者や子どもなどその人のキーパーソンになる存在がいます。それ以外にも家族がいる場合は役割分担をしましょう。
作業分担という意味ではなく、その人の良さを生かした関わりを考えてみるということです。
死にゆく本人が辛いのはもっともですが、それと同じように最もそばにいてその人の代理決定者となるキーパーソンの負担も大きいです。このキーパーソンを助けることも非常に重要になります。
頻繁に面会に行けなくてもキーパーソンに電話をして話をすれば、間接的に死にゆく人を助すことにもつながるでしょう。亡くなる人よりキーパーソンに寄り添う立場の人がいてもよいかもしれません。
また多くの場合、死にゆく人は最も近い家族には弱音や愚痴を言いません。相手の負担を思ってのことですが、マイナスの発言を聞く役も重要です。
「何だか私が行くと愚痴ばっかり言っている」という立場の人はその人の精神安定剤になっているのです。
そのほかにも、亡くなると知っても変わらない人もよい役割を果たします。小さい子どもが元気に面会に行く、愛想のない息子がいつも通りの仏頂面で話すなど今までと変わらない風を運んでくる人も大切です。
余命の短い家族に対して腫れものに触るように関わってしまう人がいます。自分も動揺し、相手を傷つけないようにという配慮からですが、死にゆく人はまだ死んでいません。生きているのです。その人の人生を歩み続けているのですから急に態度を変える必要はないでしょう。
死に直面している人は精神的に不安定になりやすいです。その人が色々な自分を表現できるような関わりこそ家族というチームだからできることです。
外野の意見は受け流す
死に直面する人に関わる家族や医療従事者などを内野とした場合、外野の意見は参考程度にとどめておきましょう。このように考える人もいるのねと思い受け流すのです。
善意の意見だったとしても、内野の作戦に合わないものなら取り入れる必要はありません。外野は真実を知りません。死という個別性の強いものに対して一般論は役に立たないことが多いです。誰かに批判されても、間違ったことをしているということではありません。内野が十分に話し合い最善だとしたことが最善なのです。
死の準備は今日をどう生きるかという糧になる
大切な人の死。いつかは訪れるものだと分かっていても、いざ向き合うのは大変なことです。
悲しいことや辛いことの準備をするのではありません。死への準備は、今日をどのように生きるかを左右します。
いつもは「ありがとう」と言わないようなことにも感謝を表してみよう、いつか食べてみたいねといっていた果物を取り寄せてみようなど、毎日を変える力になります。このような積み重ねを一緒にしていくということが死への準備なのです。