
男女の性差を無くす「ジェンダーレス」という考えが広く浸透しつつある現代では、「未亡人」という呼称は女性蔑視で時代錯誤な言葉と言えるのではないでしょうか。
未亡人と同様の意味で使われる「後家」や「寡婦」は、差別表現として認識されていないものの、未亡人だけが女性蔑視として指摘されています。
未亡人の本来の意味を解説しつつ、ジェンダーレスの時代においていかに時代錯誤で間違った言葉であるか考えます。
もくじ
未亡人という呼称が女性蔑視の差別表現とされている理由
最近ではほとんど聞く機会のない「未亡人」という言葉。聞かなくなった理由は、未亡人という呼称が女性蔑視の差別表現として認識されているからです。
ではなぜ未亡人が差別表現として認識されているのか、本来の意味とともに解説します。
現代では未亡人は差別表現として認識されている
「未亡人」とは夫に先立たれ、再婚しないでいる婦人のことを指して使われる言葉です。「後家」と同じ意味で使われますが、現代では差別表現として認識されています。
確かに男性と女性では身体の機能や容姿、考え方など性別による違いは多少なりともあります。
しかし現代では未亡人のように、男女を対称に扱わない表現は差別として認識されているため、多くのメディアで「未亡人」という言葉そのものが使われなくなりました。
未亡人には夫とともに死ぬべきという意味がある
未亡人は女性にしか使われない呼称ですが、女性を指す言葉だからという理由だけで差別だと認識されているわけではありません。「後家」や「寡婦」も夫に先立たれた女性を指す言葉として使われますが、未亡人のように差別表現だと受け取る人は少ないでしょう。
ではなぜ未亡人だけが女性蔑視の差別表現だと指摘されているのかというと、未亡人には「夫が死んだのに未だ亡くなっていない人」という意味があるからです。
要するに、本来なら夫とともに妻も死ぬべきだったのに、まだ死なずに生きながらえているということです。
言葉の意味をよく理解していなくても未亡人と言われるだけで、なんとなく嫌な気分になる人がいるのは、言葉に使われている字から女性に対する差別的な意味を感じるからではないでしょうか。
性差に関して柔軟な考えを持つようになった現代では、未亡人に限らず「このような呼称を使うのは間違っている」と指摘する声が増えています。
未亡人が時代錯誤の間違った言葉であるか考える

未亡人は時代背景が大きく影響している言葉です。そして、現代の考え方には全く合っていない時代錯誤の言葉であり、時代とともに完全なる死語になるでしょう。
しかし、現代でも未亡人を呼称で使う人がいるのは、時代錯誤と言われていても日本の根本がまだ変わっていないからです。
未亡人という言葉が生まれた背景を解説するとともに、いかに時代錯誤で間違った言葉であるか考えます。
そもそも未亡人とは家父長制の文化で生まれた自称する言葉だった
「未亡人」は呼称として使われるのが当たり前ですが、夫を亡くした女性が「恥ずかしながら自分だけ生きながらえております」という意味で自称する言葉でした。
明治時代に制定された民法「明治民法」には、家長権という制度がありました。家長権とは戸主(家長)に家の統率権限を与える制度のことです。
女性でも戸主になれましたが、男性であることが原則であり女戸主は例外でした。
もともと女性よりも男性の方が権力を持つ文化がありましたが、家長制度によって男性の持つ権力はさらに大きくなり、「パターナリズム」が当たり前の世の中になってしまいました。
パターナリズムとは、日本語で家父長制や父権主義のことで、弱い立場の者を強い立場の者が自分の利益のために、本人の意志を問わずに干渉・支援・介入することを意味します。
パターナリズムが当たり前となった世の中では「結婚や出産後は仕事を辞めて、家事や育児に専念することが女性にとっての幸せ」という固定概念が生まれました。
また、「出産後に復職した女性はいろいろ大変だから、責任ある仕事は任せない」という、男性側の勘違いした優しさもパターナリズムによるものです。
このような、男性が権力を持つ家父長制の文化では、父親が絶対的な存在である家は少なくなかったでしょう。実際に、家父長制の意識がDVの原因になっていると研究で指摘されています。
家父長制度は、男性が女性に対して自らの権力を行使し、維持することを可能に、その中で、暴力の現象を引き起こすとされる。
※法務総合研究所研究部報告|ドメスティック・バイオレンス(DV)の加害者に関する研究
だからこそ、「絶対的な存在である夫が死んだら妻も死ぬべき」という考えがあり、夫に先立たれた女性が自ら「未亡人」と自称するようになったのかもしれません。
現代でも日本の女性に対する認識は変わっていない
現代では性差を無くす「ジェンダーレス」が広く受け入れられ、当たり前となっていますが、それでも女性に対する認識は変わっていません。
男女平等が当たり前の世の中になるように新しい制度が作られたり、積極的に女性を採用する企業が増えたりなど、変わろうとする動きはありました。動いたからこそ、家父長制が当たり前の時代と比較すると、女性に優しい社会になったと言えるでしょう。
しかし、世の中が変わろうと動いていても、世界的に見て日本はまだまだ男女の性差がある国です。
2019年12月に世界経済フォーラム(WEF)が発表した「世界ジェンダー・ギャップ報告書(Global Gender Gap Report)2020」によると、ジェンダー平等指数のランキングで日本は153か国中121位でした。
7つの先進国が参加するG7の中でも日本は圧倒的な最下位で、100位以内に入った年はありません。
ドイツ10位、フランス15位、カナダ19位、英国21位、米国53位、イタリア76位
※男女共同参画|令和3・4月号(世界経済フォーラム:ジェンダー・ギャップ指数2020)
ジェンダー平等指数は「経済参加度および機会」「健康と生存」「教育達成度」「政治的エンパワーメント」の指標をもとに算定したものです。
日本は読み書き能力と初等教育(小学校)、出生率に関して性差は見られず世界1位を獲得していますが、それ以外では50位以内に入った項目はありません。多くの項目で100位以下を記録しており、日本はまだまだ性差の大きい国のままだとされています。
家長権は1947年に廃止され、家父長制の文化はとうの昔に終わっているはずです。しかし、家父長制文化の中で生きてきた人たちの考え方は子や孫に受け継がれ、パターナリズムは根強く残り続けたのではないでしょうか?
当時と比べれば、現在は女性が活躍できる社会になっていますが、それでも性差が大きいのは、時代錯誤な考えを持つ人がまだまだ多いからなのかもしれません。
だからこそ、「未亡人」のような女性蔑視にも当たる言葉が未だに存在しているのでしょう。
ジェンダーレスが当たり前の現代で未亡人は時代錯誤な言葉
近年ではジェンダーレスの考えが当たり前のように受け入れられています。特に、今後の日本を支えていくであろう若い世代は、どちらの性別にも当てはまらないジェンダーレスの人はもちろん、性別の壁を超えた恋愛をするLGBTにも寛容な考えを持つ人が多いです。
また、男性がメイクをすることや、女性が男性のようなファッションをすることにも当たり前のように受け入れられています。
一方で家父長制文化を生きた世代に近い世代ほど、「男女はこうえるべきだ」と性差を強く意識している人が多いのかもしれません。
もちろん、若い世代にも男尊女卑の考えを持つ人はゼロではありません。ただ、性別に関して寛容で、多様性を受け入れているのは間違いなく若い世代の人たちだと考えます。
ジェンダーレスの文化も、原宿や渋谷でファッションを楽しむような若い人たちから広がりました。
今後もますます性別が曖昧だったり、性別に限らず好きなことを楽しんだりする人は増えていくでしょう。
だからこそ家父長制の文化の中で生まれた「未亡人」のような、女性が弱者だった時代の言葉は、時代錯誤で間違った言葉としてタブーとなるかもしれません。
未亡人は女性蔑視の間違った言葉として使われなくなるだろう
過激なフェミニストでなくても、未亡人は言われていい気分になるような言葉ではありません。そもそも、すでに古い考えを持つ世代しか使わない死語であり、若い世代では意味すら知らない人も多いでしょう。
現代の多くのメディアでは、夫に先立たれた女性を「未亡人」という呼称で表現しません。それは、女性蔑視で間違った言葉だと指摘されているからです。
メディアが使わなくなれば、未亡人の意味どころか言葉自体を知る人すら少なくなります。
万が一、影響力のある人やメディアが未亡人という呼称を使えば、女性蔑視をしたとして大炎上してしまうでしょう。
そして、ジェンダーレスに理解のある世代は性差の問題に関して非常にデリケートで慎重です。だからこそ、「未亡人」は女性蔑視の間違った言葉として使われなくなるのではないでしょうか。