檀家制度|⽀え合う檀家と菩提寺

投稿:2020-10-29
檀家制度|⽀え合う檀家と菩提寺

檀家制度とは、檀家と菩提寺の関係を指す言葉です。

「檀家(だんか)」や「菩提寺(ぼだいじ)」という言葉を耳にすることはあっても、意味は知らないという人も多いのではないでしょうか。

檀家は「所属する寺院(=菩提寺)を支える家」、菩提寺は「檀家が所属している寺院」のことで、檀家になると、菩提寺に祖先の供養やお墓の管理をしてもらうことができます。

檀家制度の意味や背景を詳しく解説します。

檀家制度の意味を解説

現在の檀家制度の基は、江戸時代に確立されました。檀家制度とは、「檀家」と「菩提寺」の関係性を示す言葉です。

檀家とは所属している寺院を支える家のことで、菩提寺はその檀家が所属する寺院のこと。寺院が檀家の葬祭供養一切を執り行い、檀家は金品・奉仕で寺院を支えます。

詳しい意味や背景を解説します。

檀家制度は「檀家」と「菩提寺」の関係性をあらわすもの

檀家は仏教語であり、お布施をする人という意味の古代サンスクリット語の「ダーナパティ」が由来となっています。

「ダーナ」はお布施という意味で、自分よりも他人を助けることを徳とする古代インドにおける伝統的な慣習です。

ダーナ、布施はそれを分け隔てなく行うごとに功徳を積み、過去世での罪が浄化されるという仏教の教え、修行の一つとなりました。

お布施は金品の提供に限らず、知識・言葉・手助け・心配り・慈しむ心など、精神的なものも含まれます。

その後、日本で檀那となり、現在の檀家となりました。

  • 檀那・・・信者かつ寺院をお布施で支える人
  • 檀家・・・信者かつ寺院をお布施で支える家

檀家が寺院にお布施をすることは功徳を積むことであり、そして寺院も檀家にお布施を行います。

僧侶の法施(仏教の教えを説く)は、お布施の一つであり、互いに布施を行うことで、相互扶助の関係が築き上げられていきました。

檀家の前提は、信者であることです。

鎌倉時代では武家が檀家となって寺院を建て、その庇護を受けた寺院は先祖供養を執り行いました。

家単位で檀家となり、供養を得るために寺院を支援する、これが檀家制度のはじまりといわれています。

その後、江戸時代に入り檀家制度は変化しましたが、基本にある檀家と寺院との相互扶助の形は今も変わりません。

檀家は個人ではなく家単位での入檀となります。

先祖は檀家だけど自分は檀家ではないから寺院とは関係ありません、というわけにはいかないのです。

「檀那寺」と「菩提寺」の違い

檀家制度における寺院には、檀那寺と菩提寺の二種類があります。ともに寺院に帰依するという意味では変わりありませんが、厳密にいうと違いがあります。

檀那寺は仏教の実践の場、菩提寺は死者の冥福と死後の往生祈願をおこなう場。

ともに宗派に帰依して、お布施で寺院を支えるのはどちらも同じですが、本来の意味での「檀家=信者が属する」のは檀那寺なのです。

一方、菩提寺は必ずしも檀家でなくてはならない訳ではありません。

江戸時代に寺請制度を檀家制度に組み込んだことで、当時すべての人々が自身の信仰に関係なく仏教寺院に属することになりました。

信者以外が檀家になるというのは本来の意味からは外れていますが、寺院が葬祭供養のすべてを執り行うべしとの幕府のお達しは、檀家が増えるというメリットでもあります。

庶民も檀家となったことで先祖供養の概念が定着し、熱心にお布施をしたり奉仕をしたりと、積極的に寺院にかかわる人が増え、それによって寺院の運営は安定していきました。

江戸時代に再構築された檀家制度は庶民を取り込んだことで、より生活に密着したものになったのです。

檀家は菩提寺をお布施で⽀える

寺院は元々、檀那たちが自分たちの共同体の中心に建立したのが始まりだと言われています。資材・人材はもちろん、布施行として自分たちですべて行っていました。

そして、その寺院を檀那寺と呼んだのです。

寺院は運営のみならず、建立や改築・再建の際に莫大な費用がかかります。時の有力者たちの支援もありますが、全部がそうではありません。だからこそ、檀家からの経済支援とボランティアは大変重要でした。

檀家にとっては、お墓の供養をしてくれる寺院がなくなったら一大事です。

今さら、仏教以前のように亡骸を野ざらしにする訳にはいきません。そうならないためにも、菩提寺や檀那寺を支えているのです。

菩提寺は檀家の法要を執り⾏う

菩提寺は檀家の葬儀・法要はもちろんのこと、檀家でなくとも執り行います。それが檀那寺との違いです。

菩提寺は、古くは飛鳥時代の仏教寺院である氏寺に遡ります。当時の有力氏族たちが一族のためにつくったお墓です。

故に、菩提寺=お墓となりました。

お墓を持ち、寺院で供養をするのは有力者たちだけの特権でしたが、江戸時代の檀家制度によって庶民も葬儀・先祖供養を寺院で行えるようになりました。

菩提寺は檀家の分け隔てなく法要を執り行っていったのです。

檀家制度の歴史

檀家制度の歴史

平安後期から鎌倉・室町時代にかけて興った鎌倉仏教とよばれる六宗派が、大乗仏教を基に日本仏教に変革をもたらしました。

初期の檀家制度の多くは、武家と寺院との間で結ばれており、この檀家制度のおかげで生活の心配などがなくなった寺院は布教活動により力を入れることができました。

そして江戸時代に入り、幕府は寺院と民衆の掌握のためにこの檀家制度に目をつけます。仏教徒でなくても檀家に入り、葬儀供養の一切を寺院で行うことを義務付けました。

さらに寺請制度を組み込むことで、すべての民を管理できるようにしたのです。檀家制度は江戸時代に政治が入り込み、新たな形に生まれ変わったのでした。

仏教徒でない人も檀家にさせられたことで、仏式の生活様式は瞬く間に日本中に広がり浸透していきます。仏教徒でなくても仏式の葬儀を行える、日本特有の葬儀スタイルは江戸時代の檀家制度が始まりと言えるでしょう。

寺請制度が変化したもの

寺請制度(てらうけせいど)とはキリシタン排除の名目の下、幕府が宗門人別帳という戸籍台帳への登録義務を法令化し、民衆の戸籍・村への出入りの管理をお寺に任せることです。

当時の人々は、必ずどこかのお寺に属することを義務付けられました。寺請証文というお寺の檀家であることの証明証がなければ、人々は村を出ることも婚姻を結ぶこともままなりませんでした。寺請制度は武士・町民・農民、日本に住むすべての人々に適用されました。

そうして、寺請制度は檀家制度に組み込まれていったのです。檀家制度は寺請制度が変化したものといえるでしょう。

必ずしも檀家に⼊らなくとも良い

檀家になると管理費などの年間費が発生しますが、寺院の敷地内にお墓を持ち、先祖代々の供養を執り行ってもらえるメリットがあります。

一方、檀家でない信徒の場合は檀家のような費用は発生しませんが、寺院でお墓を持つことは許されていません。法要も必要な時にだけ、その都度依頼します。

そういった意味では、現在の檀家と寺院の関係は、檀家と檀那寺とも言えるでしょう。

例えば徳川家康公ですが、徳川家は浄土宗、家康本人は天台宗の信者でした。しかし晩年は神道に宗旨替えしています。

亡くなった時、葬儀は徳川家の菩提寺・増上寺にて執り行われましたが、亡骸は久能山東照宮もしくは日光東照宮に埋葬されたのではないかと言われています。

極端な例えではありますが、檀家でなくても葬儀は執り行われるということです。つまり、お墓にこだわらなければ檀家になる必要はありません。

昨今では僧侶への依頼が、インターネットでも気軽におこなえるようになりました。宗派・無宗派・無宗教問わず利用できるのが利点です。

徐々に檀家に⼊る家は減っている

戦後の核家族化、都市化・過疎化・高齢化といった社会構造の変化は、寺院側にも大きな影響を及ぼしています。

人の営みが消えたコミュニティーは、寺院の消滅をも意味します。特に少子高齢化は深刻です。

檀家側も、どんなに寺院を守ろうともそれを受け継ぐ世代が拒否、あるいは家から出てしまえば、離檀を選ぶことになるでしょう。

まとめ|檀家制度を利⽤すれば⼿厚い供養を受けられる

檀家にとって檀家制度のメリットは手厚い供養が保証されていることです。

愛するものが成仏できるよう願う人々にとって、菩提寺は拠り所でもあるとも言えるでしょう。

著者:葬儀のデスク編集部
葬儀のデスク編集部
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