供養塔とは、亡くなった方を供養するために建てられた、石でできた塔のことを指します。
特定の故人を供養するだけでなく、大昔に亡くなった方や戦争や災害で多くの死者が出た際、不特定多数の方々を供養するために建てられるものです。
日本の有名な供養塔としては、1945年の8月6日に落とされた原子爆弾によって亡くなった死者を供養するための「原爆供養塔」が挙げられます。原爆供養塔は、死者の供養だけでなく、平和を訴えるシンボルです。
供養塔とは一体何なのか、そしてどんな種類があるのか詳しく解説します。
もくじ
供養塔の意味や背景、種類を解説
供養塔は、仏塔を小さくしたもので五輪塔などさまざまな種類があります。
日本でもお馴染みの五重塔や三重塔は、インドの舎利塔が中国で形を変えたものです。屋根からまっすぐ上に伸びる金色の相輪の先端には、円満成就・完全無欠を象徴する宝珠が乗せられています。仏舎利を納めたとされる宝珠は最も重要なパーツです。
大きな仏塔を建てるのは容易いことではありません。そこで中国で20cmほどのミニチュアサイズが作られ、それが宝篋印塔になり、日本では鎌倉時代に五重塔に倣って5つの石を積み重ねた五輪塔を編み出しました。
五輪塔は平安時代には存在し、時の真言宗の僧侶・覚鑁上人が広めたともいわれています。
五輪塔で供養すると極楽浄土へ行けるという覚鑁上人の法話は、人々の心を引きつけました。
その後、鎌倉時代にはお墓として使われ、多くの武家が五輪塔を建てるようになります。それはのちの戦国武将たちにも好まれました。
シンプルな五輪塔に対して豪華なデザインである宝篋印塔・多宝塔は、他宗派・神道にも取り入れられました。
供養塔は先祖を供養するための石塔
供養塔は、先祖を供養するための石塔のことです。
供養塔は飛鳥時代に五重塔が建立され、そこで先祖供養が執り行われていました。
五重塔にはインド密教の五大要素である「地・水・火・風・空」が取り入れられ、宇宙そして森羅万象が体現されています。
供養塔は、一般庶民でも作れるよう縮小し簡略したものもありますが、縮小版の供養塔であっても五大はそのまま体現されました。
三十三回忌・五十回忌法要で弔い上げとなると、遺骨は先祖代々のお墓へと合祀されます。
一般的には先祖代々の墓で合祀しますが、手厚く弔う場合は供養塔を墓に併設してお祀りします。
仏舎利や五尊を祀った仏塔がルーツである供養塔に納めるということは、先祖を仏様として恭しくお祀りするということ。また、供養塔には多くの遺骨が納められるので、先祖代々の遺骨を合祀するのに最適です。
ただし、浄土真宗では亡くなると同時に極楽浄土へ行けるとされているので。供養塔をお墓に用いることはありません。
主に多数の死者が出た時に建てられる供養塔
戦争・災害・事故などで多くの人々が亡くなった時、その場所に供養塔をたてます。時には身元不明者・一家全滅といった悲劇も多くあります。
その人たちが無縁仏にならないためにも、供養塔で合祀して供養しました。供養塔を建て供養することで、人々の記憶から忘れ去られることもないでしょう。
代表的な供養塔を紹介します。
原爆供養塔|広島への原爆投下で犠牲になった人々を供養する
広島の平和記念公園にある原爆供養塔には、原爆の犠牲となった身元不明の人々の遺骨が眠っています。毎年8月6日には宗教・宗派を超えて合同慰霊祭がおこなわれ、土盛で小さな丘を築いた墳墓型の納骨堂を備えています。
祈りの杜|2005年JR福知山脱線事故
JR福知山線脱線事故は多くの死傷者を出しました。
その後、被害を受けたマンションの表に犠牲者の魂を弔う供養塔が作られたのです。
同時に、事故の教訓を受けて緊急時に救急活動が行える場所としても整備されました。
震災・津波による犠牲者供養塔
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災、2011年3月11日に東日本を襲った地震による大津波で、多くの方々が命を落とされ、そして被災されました。
被災した寺院も含めた各宗派の寺院、地元自治体と地域の人々や会社によって各地に供養塔や慰霊碑が建立されています。
もともとは有力者のお墓に建てられたもの
飛鳥時代に先祖供養が取り入れられるまで、時の有力者たちは権力の象徴と承継を示すために、前方後円墳などの墳墓型のお墓を建てました。
その後、五重塔を縮小して石造りにした五輪塔が鎌倉時代につくられると、武士や有力者たちの間で力と富を誇示する新たなお墓として広まり、戦国時代まで続きました。
供養塔の中でも宝篋印塔と多宝塔は高い石工技術が必要なため高価であり、身分の高い人々の間でしか使われていませんでした。
近年では一般の墓地でも供養塔のお墓を見かけるようになりましたが、やはり多宝塔などは高価であります。
供養塔の種類
供養塔にの種類を解説します。
1.五輪塔
50回忌以降の人のみ祀られます。
地・水・火・風・空の五大元素を、それぞれ四角形・円形・三角形・半円形・宝珠形の五つの形に見立てて積み上げられた石塔です。
真言密教、インド密教ではこの五大が宇宙を構成する要素であり、人の体もこの5つから成り立っているとの思想を体現したのが五輪塔です。塔は人の体であり、五体満足の言葉はここからきたとされています。
真言密教では大日如来の姿でもあるとされています。五輪塔には五大元素を梵字で刻みます。
2.宝篋印塔(ほうきょういんとう)
100年以上経った人のみ祀られます。頂の細長い相輪の先に宝珠を乗せ、正方形の石を積み重ねた笠の部分の、四隅に付けられた三角形の隈飾がとスリムなデザインが特徴的です。
インドのアショーカ王がお釈迦様の仏舎利の1つを8万4千基の舎利塔に納めたとの伝説に倣い、中国の呉越最後の王が、20cmほどのミニチュアを同数作らせた話が日本に伝えられました。
呉越の王は仏舎利の代わりに、宝篋印陀羅尼と書いたお札を入れたとされています。万が一地獄に落ちてもこれを唱えれば浄土への道が開かれるのです。
3.無縫塔
元は禅宗の格の高い僧侶を祀る供養塔でしたが、のちに宗派問わず建てられました。卵型でつるっとしているのが特徴です。
八角形の台座に蓮の花、そして卵型の塔身をのせたもので、長短二種類あります。
4.板碑(いたび / 正式名称:板石塔婆)
大きな岩や石を板状にしたもの、オベリスクのような形など、慰霊碑にもよく見られます。
先端は三角形に加工され、上部には五尊(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成誠如来)の梵字を入れることもあり、名前、供養年月日などが刻まれます。
主に関東方面に見られるものです。
5.多宝塔
多宝塔は仏舎利を納めるものではなく、多宝如来を祀った塔です。お釈迦様が法華経を説いている時に、宝塔が目の前に現れました。多宝如来が座っており、その横にお釈迦様を座らせて話をされたとの伝説から作られた仏塔。
多宝塔の特徴は二枚の屋根と相輪です。その後、大日如来や五尊を祀るためにも使われています。
日本の代表的な供養塔
高野山奥之院には約20万基もの五輪塔・供養塔があり、名だたる戦国武将、大名、著名人の名前を見ることができます。
大河ドラマでもお馴染みの明智光秀・織田信長・豊臣家、さらには8代将軍徳川吉宗、初代市川團十郎など、挙げたらきりがありません。
時代によって供養塔の形が変わる様が見られる、唯一の場所でもあります。
供養塔と永代供養
近年、少子高齢化や未婚率の増加にともない永代供養に大きな注目が集まっています。
墓じまいをしたい、独りでも死んだ後の供養をしてもらいたい、永代供養はその悩みを解消する方法の一つです。
永代供養の多くは合葬での供養が執り行われます。遺骨を合祀されたら二度と取り戻すことはできませんが、無縁仏になる心配はなくなります。
永代供養には供養塔を含め、個別/合同の納骨堂や大仏像の胎内での合祀、樹木墓地といった多種多様な方法があります。
永代供養としても用いられる
永代供養の中でも永代供養塔による合祀は費用も抑えられることもあり、利用する方が増えています。
その場合、遺骨は合祀、または粉骨したものを納めたりあるいは散骨したりして弔うのです。
いずれの場合でも、供養塔にて手厚い供養が施されます。
まとめ|供養塔は死者を手厚く供養するもの
供養塔は先祖代々の冥福を祈るためのものです。
遠いご先祖のみならず近しい人もそうでない人も含め、この世を去った人々が無事に浄土に入れるよう、供養塔をもって手厚く供養します。