仏教には死後にあの世に還った霊魂が、何度もこの世に生まれ変わってくるという「輪廻転生」の考え方があります。
輪廻転生するするのは6種の世界「六道」です。どの世界に落ちるかは、生前の行いによって決まります。
中でも特殊なのが、人間に生まれ変われない「畜生道」です。
畜生道とはどのような世界で、どのような人が落ちる場所なのでしょうか?
六道のひとつである畜生道に落ちる苦しみについて解説します。
もくじ
六道のひとつ「畜生道」の世界とは
仏教には輪廻転生の世界が6つあると考えられています。そして6つの世界の中のひとつにあるのが「畜生道」です。
畜生道とはどんな世界なのか、そしてどのような人が落ちる場所なのか解説します。
六道とは輪廻転生する6種の世界のこと
仏教には輪廻転生という考えがあります。「六道」は輪廻転生する6種の世界のことで、「六趣」「六界」とも言います。
六道の最上位が天の世界である天道で、最下位が地獄道です。畜生道は六道の中でも下から3番目に位置する世界。
どの世界に転生するかは、生前の行いによって決まります。
- 天道(天上道、天界道):善良な者が行く最も苦悩が少ない清浄な世界。
- 人間道:生前と同じ人間の世界。生病老死の四苦八苦や煩悩による三毒に悩む世界。
- 修羅道:他人と酷い争いをしたり、蹴落としたりした人が落ちる世界。常に怒りの感情が絶えず我を忘れて争いをくり返す世界。
- 畜生道:畜生(動物)に生まれ変わる苦痛の中で生きる世界。
- 餓鬼道:物欲が強い人、特に食物についての欲望の強い人が落ちる世界。自由に飲食できない飢えと乾きに苦しむ世界。
- 地獄道:生前に悪行を犯した人が落ちる世界。罪に合った地獄に行き、獄卒の鬼による刑罰を受ける。
ちなみに上から3つの天道、人間道、修羅道を「三善道(三善趣)」と言い、下3つの畜生道、餓鬼道、地獄道を「三悪道(三悪趣)」と言います。
場合によっては修羅道を悪趣とし「四悪道(四悪趣、四趣)」とするケースや、修羅道を地獄道に含めて「五道(五趣)」とすることもあります。
人間として許しがたい行為や生き方を行うと畜生道に落ちる
畜生道は人間として許しがたい行為や生き方をした人や、見境なく肉親間で性的行為や色恋をした人が落ちる世界だと考えられています。
要するに道徳から外れた人たちが落ちる世界です。
人間には理性があるので欲望を我慢することができます。しかし人間として生まれたのにも関わらず、欲望のままに畜生のような行いをした人たちは、報いとして畜生道に落ちてしまうのです。
畜生道に落ちたら人間以外の生物に生まれ変わる
畜生とは鳥獣虫魚の総称で、畜生道に落ちたら人間以外の生物に生まれ変わるとされています。
ただし、どんな生物に生まれ変わるかはわかりません。
牛や馬のような家畜に生まれ変わる場合もあれば、大空を自由に羽ばたく鳥に生まれ変わることもあります。中にはミジンコやシラミなど、とても小さな生物に生まれ変わる人もいるでしょう。
人間以外の生物に生まれ変わり、畜生として生きる苦しみを与えられるのが畜生道の世界です。
六道輪廻から抜け出せない畜生道の苦しみを解説
畜生道に落ちると輪廻転生から抜け出せない苦しみがあります。畜生道はほかにもさまざまな苦しみがあり、畜生道の苦しみは人間として生きている間は到底考えられないものでしょう。
では、畜生道に落ちたらどんな苦しみが待っているのか解説します。
畜生道に落ちると弱肉強食の恐怖の中で生きていかなければならない
畜生道に落ちると人間以外の生物に生まれ変わります。
どんな生物に生まれ変わっても、そこにあるのは弱肉強食の世界です。自分より弱い者を食べ、自分より強い者に食べられるのが畜生道の世界。
常に自分より強い生物に命を狙われているので、心安らかに過ごすことはできません。常に身の危険を察知し、弱肉強食の恐怖に怯えて生きなければなりません。
ただ、人間ほど脳が発達しないので未来を考える能力はなく、本能のまま生きることができます。ある意味楽観的に生きることができる世界であり、恐怖を感じないうちに一生を終えることもあるかもしれません。
仏門に入れないから六道輪廻から抜け出せない苦しみがある
畜生道の最大の苦しみは、六道輪廻から抜け出せないことです。六道輪廻とは、六道の中でぐるぐると転生をくり返すことです。
仏教には「涅槃寂静」という教えがあります。涅槃寂静とは悟りの境地のことで、達することができたとき六道輪廻の世界から抜け出せると言われています。
そして、涅槃寂静に達して六道輪廻から抜け出すことこそが、仏教の目指す到達点です。
人間として生まれ変わることができれば、仏にすがることができます。
しかし、畜生道に落ちれば仏門に入れないので、六道輪廻から抜け出す手段がありません。
さらに畜生道は本能だけで生きる世界なので、畜生道より上位の世界に生まれ変わることもできません。
六道輪廻から抜け出せないうえに、次の世界も三悪道のどこかであることは畜生道ならではの大きな苦しみです。
畜生道に落ちても馬頭観音による救いはある
畜生道に落ちたら六道輪廻から抜け出せませんが、全く救済されないわけではありません。
観音様で親しまれている「観音菩薩」は、衆生の苦しみに耳を向けて救済する仏で、六道それぞれの世界に現れます。
仏の教えを伝えられない畜生道には頭の上に馬の頭部を乗せた「馬頭観音」に姿を変えて現れ、畜生に生まれ変わった者に救いの手を差し伸べます。
ちなみに馬頭観音は、慈悲の観音菩薩では珍しく怒ったような怖い顔をしており、「馬頭明王」とも呼ばれています。怖い顔をしているのは、悪いものを消し去るためです。
畜生道にも救いの手はありますが、さらに下位の世界に落ちる可能性もあるので、やはり畜生道に落ちるような生き方はするべきではないでしょう。
畜生道に落ちたら畜生に生まれ変わって六道輪廻から抜け出せなくなる
人間として許しがたい道徳から外れた行為や生き方をした人は、死後に畜生道に落ちると考えられています。
畜生道に落ちると畜生に生まれ変わり、弱肉強食の恐怖の中で生きなければなりません。
さらに、仏門に入れないどころか仏にすがることすらできないため、六道輪廻から抜け出すことはできません。
また畜生道では徳を積むこともできないので、畜生道より上位の世界に転生することすら許されない世界です。
馬頭観音による救いの手はありますが、道徳から外れた生き方をすれば畜生道よりも下の世界に落ちる可能性もあるので、畜生道に落ちるような生き方はするべきではないでしょう。