仏教にはさまざまな経典がありますが、中でも多くの宗派で読まれているのが「般若心経」です。
仏教の基本となる教えが説かれており、真言宗や天台宗、曹洞宗、浄土宗などでは葬儀の際にも般若心経が読まれています。
一見、理解が難しい般若心経にはどのような教えが書いてあるのでしょうか?
般若心経の全文と読み方を、由来と歴史とともに口語でわかりやすく解説します。
もくじ
仏教でよく読まれる般若心経とは
仏教でよく「般若心経」が読まれていますが、そもそもどのような経典なのでしょうか。
般若心経で説かれている思想と、現代主に使われている般若心経の由来を解説します。
般若心経は仏教の経典のひとつ
般若心経の正式名称は「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」です。
読み上げると長い印象がありますが、実際には300字にも満たない短い文章の中に、大乗仏教で大切な「空(くう)」の思想が説かれています。
大乗仏教とは衆生救済(生きているものすべてを迷いの中から救済)を目的とした、仏道に励む菩薩(悟りの境地や極楽往生して成仏を求める衆生)の立場を重視した仏教の一派です。
ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきました。
なお、般若心経は多くの宗派で読まれていますが、浄土宗や日蓮宗では基本的に読みません。
般若心経は「空」の思想が中心
般若心経は「空」の思想を中心に説いています。
「空」とは全てのものに実体がないことです。ゼロや無のような虚無ではなく、そこに存在しているように見えて、実は全てのものが実在していないという思想です。
最初からないのではなく、「あるようでない」という感覚に近いかもしれません。
般若心経では観音菩薩が、さまざまな事象を例にして全てのものに実体がないことを説いています。
しかし、般若心経は単に空の思想を説いているだけでなく、何も存在しないという虚無主義の考え方も否定しています。
現代の般若心経はインドから630年ごろに中国に伝わったものが由来
般若心経はもともとインドで誕生したもので、サンスクリット語の「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ」が由来です。
現代の日本で広く読まれている般若心経は、中国の僧侶である玄奘三蔵が研究のためにインドに向かった際に、中国に持ち帰って翻訳したもので、630年ごろに伝わったと言われています。
般若心経の全文を口語でわかりやすく解説
少ない文字数で仏教の基本が説かれている般若心経には、一体どのような教えが書いているのでしょうか?
般若心経の全文の現代語訳を、読み方とともにわかりやすく解説します。
仏説「摩訶般若波羅蜜多心経」の全文を紹介
まずは、般若心経の全文を紹介します。
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。
是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。
無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罜礙。無罜礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知。般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。
即説呪曰。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
Wikipedia:般若心経
般若心経は「観音菩薩」が、お釈迦様の弟子「シャーリプトラ」に教えを語りかける形式で作られています。
途中で出てくる「舎利子」がシャーリプトラで、「観自在菩薩」が観音菩薩のことです。
また、般若心経は主に4つのパートに分けて構成されています。
- 観音菩薩がシャーリプトラに教えを説く場面
- 観音菩薩がシャーリプトラに「空」の思想について説く場面
- さらに深く「空」の思想を説く
- 「真言(マントラ)」
ちなみにマントラとは真実の言葉、秘密の言葉のことです。いわゆる呪文のようなものなので、翻訳はせずにそのままの言葉で用いられます。
般若心経の全文の読み方と口語(現代語訳)
般若心経には一体どのような教えが説かれているのか、読み方とともに口語による現代語訳をご紹介します。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう)
般若心経のタイトルのことで「存在が存在することの意味を説いたお経」という意味です。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
私(観音菩薩)は、自分が存在する意味について向き合っていたとき、ひとつに真実にたどり着いたから、それをお伝えしよう。
照見五蘊皆空 度一切苦厄(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)
人間という存在は肉体と心で成り立っているが、五感のどれを詳細に見ても「これは自分だ」という存在を認めるものを見つけることはできなかった。
自分はどこにも存在しないことを知ってびっくりしたけど、それと同時に苦悩から解き放たれたような感覚を覚えた。
舎利子 色不異空 空不異色(しゃりし しきふいくう くうふいしき)
シャーリプトラよ、体とはさまざまなものが集まってできた物体のことであり、いわゆる固有の実体が存在しているのではなく、何かが集まった「状態」に過ぎないんだ。
だから、体だけでなくあらゆる物体は、それを形にしている「状態」に過ぎないわけで、実体はないというのが真実なんだ。
この真実を「空(くう)」と呼ぼう。
色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)
私たちが感じている物体は実体があるわけではなく、「空」という性質によって成り立っている。そして「空」は変化をする性質だから、あらゆるものに形があり、そして形を変えることができているんだ。
だからこそ、世界には多種多様な形のものが存在しているんだ。
受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)
そして「空」は物体だけでなく五感や精神作用にも当てはまるもので、形はなくても変化をする法則の中にある。
要するに、肉体も心も実体として存在しないということ。
でも、私たちには考えることができる脳があるから、自分という概念を想起することができる。つまり、自分の存在を自分だと認識できるんだ。
ただ、真実としては自分というものは存在しないから、固定的な存在というよりも流動的な状態を自分だと認識してしまっているだけ。結局は自分自身も「空」ということだ。
舎利子 是諸法空相(しゃりし ぜしょほうくうそう)
シャーリプトラよ、驚いたでしょう?それともよくわからない?もしくは、当たり前のことを言われたと思っている?どちらにしても、必ず理解できるから今は理解できなくて大丈夫。
ただ、世界がどう存在しているかしっかり見つめて、真実を追求する姿勢は忘れないように。
不生不滅 不垢不浄 不増不減(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
全ての存在が「空」であると理解できると、面白い事実に気付くことになる。私たちは生まれて死ぬことが当たり前だと考えているけど、実はそれも違うんだ。
いろいろな物体が集まって形をつくると「働き」というものが生まれる。生きるというのは働きによるもので、自分が自分の存在を認識していることも不思議な働きによるものなんだ。
だから命とは、変化をくり返しているだけ。存在が変化してるだけで、生まれもしなければ死にもしない。垢が付くこともなければ浄らかなものでもないし、増えもしないし減りもしない。
是故空中 無色 無受想行識(ぜこくうちゅう むしき むじゅうそうぎょうしき)
くり返すことになるけどもう1度言おう。あらゆる物体は存在しているのではなく「空」であって、変化をくり返す中で今はこの状態で存在していると認識してしまっているだけなんだ。
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)
五感も精神も不変のものはなくて、全てが「空」であり、実体として存在するものはない。
無眼界乃至無意識界(むげんかいないしむいしきかい)
私たちが認識している世界は、自分の感覚器官で感じた世界であり、世界そものもを感じているわけではないんだ。
無無明 亦無無明尽(むむみょう やくむむみょうじん)
しかし、真実に目を向けずに、自分が実体として存在しているという間違った認識で生きることで苦しみを感じてしまう。
でもなぜ「空」という真実のもとに世界が存在しているのかは私もわからない。
あらゆる存在はあるようで無い。ただ無いのではなく、あるようで無いのだ。
乃至無老死 亦無老死尽(ないしむろうし やくむろうしじん)
だから、老いや死も存在しない。老いや死がないわけではないけど、やっぱり老いも死も存在しないんだ。
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故(むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)
全てのものに実体はないから、苦しみも苦しみを解決する方法もない。全ては概念であり、自分もまた概念でしかない。
そして概念を理解しようとすること自体も虚構であり、知識を得ても存在の本質は理解できない。
そもそも得られるべきもの自体、何も無い。
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故(ぼだいさった えはんにゃはらみったこ)
菩薩たちは智慧を得るための修行「智慧の波羅蜜」を拠りどころにしている。
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)
だから、心にこだわりはないし、恐れるものもない。
遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃(おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん)
多くの人は自分の体と心はそこに存在していると、存在してないはずの自分の存在を疑わない。
でも、存在を疑わないという誤った認識から遠く離れるだけで、心はもっと安らかになれるんだ。
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
三世(過去、現在、未来)のいつの時代であっても、「空」という存在の真理を知っている者は、心が安らかでいられるんだ。仏教徒でなくても、誰の眼の前にも真実は姿を表しているよ。
故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒(こち はんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)
だから存在が存在することの真実を説く「般若波羅蜜多」は、全ての人に平等をもたらすことができる、これ以上にない尊いものなんだ。
生きる意味を真剣に考えたとき、人は必ずこの真実に向き合うことになるだろう。
能除一切苦 真実不虚(のうじょいっさいく しんじつふこ)
あらゆる全てのものは「空」である。
この真実を知る者は、どんな苦しみも自分が築き上げた概念でしかないことに気付くでしょう。
だからといって、病や痛みが消えるわけではない。でも、それを苦しみと認識して逃げようとすることはない。
故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰(こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわく)
では最後に、この真実を見抜く般若の智慧を短い呪文で讃えよう。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
般若心経(はんにゃしんぎょう)
以上が、存在が存在することの意味を説く「般若心経」の教えだ。
般若心経は大乗仏教の心髄が説かれている経典のひとつで仏教の基本
般若心経は仏教の基本である教えが説かれている経典です。
般若心経自体は短いものの、口語で現代語訳することで、たった300字にも満たない文字数にぎゅっと濃い内容が記されていることがわかるでしょう。
般若心経を通じて「この世界の存在は虚無ではないが、存在しているようで存在していない」と知ることで、苦悩から解き放たれて心がラクになるかもしれません。
今すぐに理解はできなくても、自分という存在に真剣に向き合うことで、心が安らかになるかもしれませんね。