浄土真宗のお経とは仏教を作ったお釈迦様が話をしたものをまとめ、主に人生の生き方や心理について説かれているものです。
浄土真宗の数あるお経の中でも、特に「仏説無量寿経」「仏説阿弥陀経」「正信偈」の3つのお経が重要とされており、そのなかの「仏説無量寿経」のなかで「南無阿弥陀仏」が多く唱えられます。
門徒でなくても誰もが馴染みある南無阿弥陀仏。このお経の意味を知ることで、浄土真宗が国内最大の門徒数を誇る理由が見えてくるでしょう。
浄土真宗のお経の意味や由来について詳しく解説します。
浄土真宗のお経の由来
南無阿弥陀仏は、元は浄土宗の開祖・法然聖人が唱えた念仏本願です。「南無阿弥陀仏」も、釈迦の経の一つである仏説阿弥陀経から抜粋されたもの。
親鸞聖人はそれを踏襲し、浄土真宗を開きました。
親鸞聖人と浄土真宗
親鸞聖人と浄土真宗を語る上でとても大事な言葉があります。
それは、「非僧非俗(ひそうひぞく)」という言葉。僧侶でも俗人でもない、ただ一人の人間という存在であるということです。
これは師である法然聖人とともに流刑をうけ、僧侶の身分を剥奪された時に生まれた言葉で、親鸞聖人は終生それを貫きました。浄土真宗に出家がない理由でもあります。
親鸞聖人は、もともと比叡山の修行僧でしたが、修行だけで民衆は救えないと考え下山します。
消えてはあらわれる煩悩に苦しむ中、浄土宗の開祖・法然聖人と出会い、南無阿弥陀仏の念仏と阿弥陀如来の力(他力)とその本願に触れ、救われました。
しかし、念仏を唱えれば貴賎関係なく浄土に往生できるとの教えは民衆の間に広がり、その勢いに恐れをなした朝廷によって法然聖人と弟子たちは流罪となり、僧侶の身分を剥奪されてしまったのです。
その後法然聖人と別れた親鸞聖人は、時に一向宗と呼ばれた、浄土真宗本願寺派の礎を築きました。信仰の自由を得るためには非僧非俗となってでも、行動を起こさなければならないことを体現したのです。
その不屈の精神は、織田信長との10年間にわたる争いや徳川家康との対立など、時の権力と互角に渡り合う力をも兼ね備えた大きなものへとなっていきました。
浄土真宗と他の宗派の違い
浄土真宗と他の宗派には、大きく以下の違いがあります。
- 在家仏教である
- 僧侶も信者も門徒と呼ぶ
- 菩提寺ではなく手次寺(てつぎでら)
- 戒名がない
- お墓は墓ではない
浄土真宗に出家はなく僧侶も在家であり、一般の信者同様門徒です。
阿弥陀仏の本願を信じて集まった者同士によって作られたお寺は、いわゆる檀那寺であり、阿弥陀仏に取り次ぐお寺という意味から、浄土真宗ではお寺のことを手次寺とも呼びます。
浄土真宗では戒名ではなく「法名」が与えられる
法名とは、念仏を拠り所に阿弥陀如来にまかせて生きることを決意した人につけられる名前です。
一方、戒名とは釈迦の弟子として、釈迦のように五戒を遵守しながら悟りを開くために出家し、厳しい修行の道を歩んだ者に授けられる名前のこと。
<五戒>
不殺生戒(ふせっしょうかい):殺生をしない
不偸盗戒(ふちゅうとうかい):盗みをしない
不邪淫戒(ふじゃいんかい):淫らなことをしない
不妄語戒(ふもうごかい):嘘を言わない
不飲酒戒(ふおんじゅかい):酒を飲まない
戒名は死んだ後も往生への道は修行であることを意味します。
浄土真宗では死とともに阿弥陀仏が西方浄土へと連れて行ってくれるため修行は必要ないとの考えで、五戒もありません。そのため、戒名は必要ないのです。とはいえ、阿弥陀如来を信じることも修行のひとつといえるでしょう。
戒名は亡くなってから授かりますが、法名は生きている時に自ら決めることも授かることもできます。
煩悩を消し去ることの難しさ、戒律を守れないのもまた人であるが故、必ず救わなければなりません。
それができるのが唯一、「生きとし生けるものすべてを救いたい」との本願を持つ阿弥陀如来です。
阿弥陀如来はありのままを受け入れてくれる仏でもあります。阿弥陀如来に生かされ、すべてを任せることを受け入れられれば救われるというのが浄土真宗の教えなのです。
また、浄土真宗では門徒の魂はすぐに浄土にいくので、先祖の魂はお墓にはいません。お墓は弔いの場所ではなく故人を偲び、命とは儚くかけがいのない尊いものであるとの阿弥陀仏の慈悲の心を、感じるための場所です。
浄土真宗で特に大事なお経は3つ
親鸞聖人による顕浄土真実教行証文類の中でも、特に大事だと言われている釈迦による大乗仏教の経典が下記3つです。
- 大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)
- 観無量寿経(かんむりょうじゅきょう) ※念仏を唱えることで誰もが浄土に往生できると説く
- 阿弥陀経(あみだきょう)
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