浄土真宗で重要とされている3つのお経
大経・観経・小経の3部からなる浄土三部経が、浄土真宗の拠り所となる経典です。それぞれ解説します。
仏説無量寿経
浄土教の基である、無量寿=阿弥陀如来に言及した経です。
阿弥陀仏がまだダルマーカラ(法蔵)の名前の僧侶だった頃の修行時代と苦悩。そして本来は往生できない人であっても往生させてあげたいとの本願を持った、法蔵菩薩時代から仏になるまでと、西方浄土を開くまでの経緯が書かれています。
菩薩時代、修行を行いながらも人々を救うために立てられた四十八の願いもこの経に書かれており、親鸞聖人がもっとも重要だといわれた経であります。
仏説阿弥陀経
釈迦自ら、阿弥陀如来の力と西方浄土の素晴らしさを説いたとされる、釈迦にとって最後のお経です。
阿弥陀如来は釈迦が悟りを開いたことによって、はじめてその存在を知ることができた仏。
釈迦は地球上で唯一悟りを開いた仏様でありますが、阿弥陀如来は大日如来とともに大宇宙における全ての仏の師であり、全ての仏から尊敬される存在です。その阿弥陀如来を釈迦は師匠として敬いました。
五濁悪世に生きる中、浄土に往生するためには阿弥陀如来の力を信じましょうと呼びかける内容です。
浄土真宗の暮石によく見られる倶会一処(くえいっしょ)の言葉は、このお経からきています。念仏を唱える者同士は死後、阿弥陀仏の浄土でまた会えるとの意味です。
―五濁とは―
- 劫濁(こうじょく):戦争や飢饉などで引き起こされる社会悪
- 見濁(けんじょく):思想の乱れ・濁ったものの見方
- 煩悩濁(ぼんのうじょく):煩悩に支配された心身の乱れ
- 衆生濁(しゅじょうじょく):社会全体の濁り
- 命濁(みょおうじょく):生命そのものの濁り・生命力の弱まり
正信偈
浄土真宗では葬儀、朝晩の勤行でも毎日唱えているのが正信偈(しょうしんげ)ですが、実はお経ではなく親鸞聖人が書かれたものです。
浄土真宗の根本聖典である、教・行・信・証・真仏人・化身土の6巻からなる顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)の中の行(実践)の巻に書かれている韻文。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光(きみょうむりょうじゅにょらい なかふしぎこう )」限りなき命の如来に帰依し、限りなき光の如来に南無たてまつります。
この漢文は浄土真宗の御本尊、阿弥陀如来の力を称え帰依する言葉です。
阿弥陀仏が菩薩から如来になるまでや、人間で初めて仏になって仏教を広めた釈迦への賛辞、そして釈迦が書いた阿弥陀経が浄土教における七人の高僧に受け伝えられ、いくつもの国境を超えて日本に伝わったことを称えています。
しかし重要なのは、闇の中を自力でもがくのではなく、他力本願(阿弥陀如来の力)を信じてみんなで救われることです。
信じることの難しさ、しかし信じられることで喜びを感じることができる、すなわち、阿弥陀如来を信じるということは浄土への往生が約束されたとの喜びに繋がります。
信心とは何か、仏を信じるとは何かを伝える書でもあるのです。
親鸞聖人は正信偈が民衆に受け入れられやすいように、当時流行していた和讃(経典を日本語にして節をつけて詠む)の節を取り入れました。
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