禅問答の一覧と例文を解説|もっと身近に禅問答を!悟りを開けるかも

投稿:2022-02-18
禅問答の一覧と例文を解説|もっと身近に禅問答を!悟りを開けるかも

禅問答は禅宗の修行僧が悟りを開くために行うものです。禅問答を理解することで、人や物事に対して今までとは違った考え方や見方ができるようになります。

しかし、禅問答自体はとても難解なもので、理解しようと近付けば近付くほどわけがわからなくなることも・・・。

そもそも禅とは本来、とてもシンプルで普遍的なものです。禅問答は難解ですが、無理に意味を理解する必要はありません。理解することより体験することが大切です。

考え方を変える第一歩として、まずは禅問答を体験してもっとも身近なものとして接していくことをおすすめします。

禅問答を体験することで、もしかしたら悟りが開けるようになるかもしれません。

禅問答とはどのようなものなのか、一覧と例文を添えて解説します。

言葉だけでは理解できない禅問答とは

禅問答は難解で言葉だけではなかなか理解できるものではありません。

そもそも悟りを開くために行われる禅問答とはどのような意味なのか、仏教用語と日常で使われる意味を解説します。

禅問答とは師弟のやり取りのこと

仏教用語としての禅問答は、禅宗の僧による師弟のやり取りのことです。

修行者である弟子の疑問に対して、指導者である師匠が答えるという一連の問答の流れを禅問答と言います。

禅問答は禅宗の僧が悟りを開くための修行方法のひとつですが、悟りを開くためには世の中のあらゆる物事における真理を追求する必要があります。

そのため、禅問答は言葉だけでは表せない抽象的な側面があり、理解しようとしても文字を見るだけでは全く意味が理解できないことも・・・。

日常では筋の通らない話の意味で使われる

禅問答という言葉自体は日常でもよく使われます。日常では「筋の通らない話」「理解しがたいやり取り」という意味で使われます。

日常で使われる場合は、仏教用語として本来の意味とは違うので、使用する際は注意してください。

禅問答の考え方・向き合い方について

禅問答は言葉だけでは理解できないものですが、どのように付き合っていくべきなのでしょうか?

禅問答が重視している考え方と、付き合い方について解説します。

言葉だけを見ても真理は見つけられない

まず悟りを開くためには、言葉だけでは言い表すことができない真理にたどり着かなければなりません。

禅問答は悟りを開くための修行である一方で、言葉だけを叩き込んでも意味は理解できません。

使われている言葉自体は難しいものではありませんが、大切なのは言葉や文字に囚われすぎないことです。

禅には「不立文字」という教義があります。「文字だけでは真理にたどり着けない」という意味がある言葉です。

理解しようとすることは無駄ではありませんが、文字や言葉そのものに囚われてまうと、大切なことに気づけずいつまでも真理にたどり着くことはできないかもしれません。

考えるよりも感じること

禅問答は意味がわからなくても大丈夫です。そもそも言葉だけで理解できるものではないので、はじめのうちは理解できなくても問題ありません。

禅問答は意味を考えて理解しようとすることよりも、禅問答そのものを体験することを重視しています。

無理に理解しようとして答えを出すのではなく、物事の本質に触れようと修行することそのものが大切なので、まずは意味を理解しようと考えるのではなく体験することから初めてください。

当たり前を捨てて何事も比較しない

私たちはさまざまな煩悩や束縛にとらわれています。やはり普通に生きていくためには、損得勘定や利害で物事を考えたり、人に迷惑をかけない常識的な生活や習慣を身に着けたりする必要があります。

そして悟りを開くということは、私たちが当たり前としている煩悩や束縛から解き放たれることです。

まずは人や地位、物など何事にも対して比較をしないことが大切です。禅問答と付き合っていくには、比較をするという当たり前から脱却し、考え方を変えるところから始めましょう。

悟りが開ける禅問答例文

悟りが開ける禅問答例文

悟りを開くための修行のひとつである禅問答。

では禅宗の僧たちはどのような禅問答で悟りを開くのか例文をご紹介します。

答えは人によって異なるので、体験しながら自分だけの答えを見出してみてください。

非風非幡(ひふうひばん)

風にふかれてなびく旗を見ながら、僧が「旗が動いているのか」「風が動いているのか」と言い争いをしています。

そこに通りかかった僧が「動いているのは旗でも風でもなく、あなたたちの心だ」と言い放ちました。

堅固法身(けんごほっしん)

ある修行僧が「人体はいつか滅んでしまいますが、永遠に滅ばない不生不滅とはなんでしょうか?」と大龍和尚に聞きました。

すると大龍和尚は「山の花が満開で錦のように美しく、谷の水が澄み切っていて藍のように美しい」と答えました。

野鴨(のがも)

師匠と弟子が歩いているところに野原から野鴨の一群が飛び立ちました。師匠が弟子に「あれは何?」と問うと、弟子は「野鴨です」と答えました。

師匠はさらに野鴨たちはどこへ飛んで行ったのかと問うと、弟子は「わかりません。ただ飛んで行っただけです」と答え、師匠は弟子の鼻を思い切りつまみます。

弟子が痛くて悲鳴をあげると師匠は「飛び立った野鴨はここにいるではないか」と言いました。

麻三斤(まさんぎん)

ある修行僧が洞山和尚に「仏とはなにか」と問いかけました。

すると洞山和尚は「三斤の麻である」と答えました。

禅問答は意味がわからなくても体験すること自体が大切

禅問答の意味は理解すること自体が難しいです。

そもそも言葉だけでは言い表せない真理にたどり着くために必要な修行なので、理解をしようと考えるよりも禅問答とはどのようなものなのか体験すること自体が大切です。

禅問答を体験し日常に取り入れることで、自分だけの答えが見つけられるかもしれません。

まずは自分の考え方を変えるための手段として、禅問答に触れてみてはいかがでしょうか。

著者:葬儀のデスク編集部
葬儀のデスク編集部
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