諸法無我(しょほうむが)とは|釈迦が悟った教えを口語で解説

諸法無我(しょほうむが)とは|釈迦が悟った教えを口語で解説

仏教には多くの宗派があり、宗派によって考え方に違いがあります。しかし、仏教の開祖である釈迦如来の考え方は、どの宗派にも通ずる仏教の基本的な考え方として広く知られています。

釈迦が悟った教えである「諸法無我(しょほうむが)」も、仏教の基本的な考え方のひとつです。

諸法無我とはどのような考え方なのか、釈迦が悟った教えを口語でわかりやすく解説します。


釈迦が悟った教え「諸法無我」の意味を解説

「諸法無我」とは釈迦が悟った仏教の基本的な教えのひとつですが、どのような意味があるのでしょうか。

諸法無我の意味について解説します。

諸法無我は仏教の基本的な考え方のひとつ

仏教には考え方の基本となっている4つの教えがあります。

  1. 一切皆苦:この世界は自分の思い通りにならないことばかりである。
  2. 諸行無常:世の中の全てのものは一定ではなく、絶えず変化を続けているものである。
  3. 諸法無我:この世の全ての物事は、影響を及ぼし合う繋がりの中で成り立っている。
  4. 涅槃寂静:仏になるために仏教が目指す到達点。「悟り」の境地。

諸法無我は基本的な考え方の3つ目にあたるもので、仏教の到達点である「涅槃寂静」を目指すために理解すべき教えです。

諸法無我とはあらゆるものに実体性はないという意味

諸法無我とはこの世の全ての物事は、お互いに影響をし合う因果関係によって成り立っているものであり、何ひとつ単体として存在するものはないという意味です。

「諸法」は全ての物事で、「我」は単体での存在を意味しています。

例えば、お気に入りの服や頑張って作り上げた財産、そして自分の命は全て自分のもののように思うのが普通です。

しかし、実際はそうではなく、全てのものがあらゆる因果関係によって存在している、絶妙なバランスの上で成り立っているというのが「諸法無我」の意味。

逆を言えば、影響し合うものがなければ存在はできないということです。

釈迦が悟った諸法無我の世界観を口語で解説

釈迦が悟った諸法無我の世界観を口語で解説

諸法無我をすぐに理解するのは困難です。だからこそ仏教徒は、きちんと理解して真実と向き合うための修行を行います。

釈迦が悟った諸法無我とは具体的にどのような教えなのか、わかりやすく解説します。

諸法無我は般若心経の「空」の概念

私たち人間には、自分の命や家族、財産などたくさんの大切なものがあります。そして、大切なもにに執着するので、失ったときや傷つけられたときに苦しみに悩まされます。

でも実際は、自分が大切にしているものは単体では存在できない「無我」。だから、「執着しない生き方をすれば、苦悩から解き放たれて心穏やかに生きていけますよ」という釈迦の教えが「諸法無我」です。

実は、お経として広く知られている「般若心経」でも、諸法無我と同じことを言っています。

般若心経では諸法無我の教えを「空(くう)」の概念と言い、「空」の真実に気付くことで苦悩から解き放たれてラクになると説いています。

そして、この世の全てのものは実体があるようでないという「空」の真実に気付き「諸法無我」を自覚することで、仏教が目指す悟り「涅槃寂静」へ至ることができるのです。

諸法無我の世界観を解説

最後に諸法無我の世界観をわかりやすく解説します。

例えば日常的によく使うスマートフォンは、「スマートフォン」と呼ばれるひとつのものですが、実際はさまざまな部品によって成り立っているものです。

ディスプレイにチップ、金属、ガラスとさまざまな部品や原材料がお互いに影響しあってスマートフォンが存在しています。

さらに、原材料から部品へと加工する人、部品を組み立てる人がいます。たくさんの原材料、たくさんの部品、たくさんの人の手と、多くの因縁によってひとつのスマートフォンという存在が作られているのです。

そして、どの因縁が欠けてもスマートフォンは存在できません。

スマートフォンを単体の存在として認識しがちですが、実際は多くの物事が影響しあって成り立っているもので、単体として存在しているわけではありません。

人もスマートフォンと同じです。

人間の体はさまざまな元素と微生物・細菌、遺伝子情報から作られています。そして親や祖先、教育、人との出会いや環境が影響して、考え方や容姿が変わり今の自分という存在があります。

要するに人もみんな多くの物事が影響しあって作られている存在であり、単体としての存在ではないのです。

さらにわかりやすく解説すると、この世界はお鍋の中であり、鍋の中身をお玉ですくうとさまざまな具材が見えてきます。

そのお玉ですくった具材は自分や家族、他人、動物、財産、家、服など、この世を作っているものや人です。

具材ひとつひとつは単体として存在しているように見えますが、鍋に戻すとほかの具材とごちゃごちゃになって鍋という世界を作る存在に戻ります。

単体として存在していたように見えていた具材も、よく見たら全部同じ鍋なのです。

そしてまたお玉で具材をすくってみると、さっきはにんじんやしいたけ、鶏団子をすくったのに、今度は鶏団子としらたき、豆腐と新しい組み合わせが形成されます。

元は同じ鍋ですが、具材の組み合わせが違うと違うものとして楽しむことができます。

でも、戻してしまえばやっぱりどの具材も同じ鍋です。

毎回違う具材がすくい上げられ、新しい組み合わせを形成することをくり返しているのがこの世界です。

そしておたまは傾いているから、すくった瞬間に具材は鍋に戻っていきます。

全ての存在は固定されることなく、変化していくし、さまざまな物事がお互いが支え合ってスマートフォンや人間のように存在できるのは一瞬です。

要するに「どんな存在も単体として存在しているわけじゃなくて支え合っている」というのが諸法無我です。


諸法無我とは「空」の概念であり、仏教の基本的な考え方のこと

諸法無我の教えを理解するのは難しいです。しかし、理解をしなければ悟りの境地にたどり着くことはできません。

ただ、諸法無我は仏教の基本的な考え方である「空」の概念なので、仏教徒なら誰もが理解しなくてはならない部分です。

そして「空」の概念を理解することで、人生をよりラクな気持ちで過ごすことができます。

例え仏教徒でなくても、実際がないという真実を見極めることでより安らかな日々を目指せるようになるので、なにか苦悩を抱えた際に「諸法無我」の指す意味を思い出してみてはいかがでしょうか。

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