「洗礼」とは水による再生の秘跡であり、キリスト教徒になるための儀式でもあります。頭部や体を水に浸し罪を洗い清めることで、新しい命を与えられたあかしとなるのです。
かつてキリスト教では全身を水に沈める「浸礼」が主流でしたが、現在では少なくなりました。
乳幼児へは「幼児洗礼」を行いますが、キリスト教全宗派で行われているわけではありません。カトリックでは3世紀以降から行われており、その子供が成長してキリストとの一体を望めば再度洗礼を行います。
キリスト教の信仰を表明する儀式の「洗礼」。洗礼を受けたい場合やその種類など、詳しく解説します。
「洗礼」のもともとの意味はキリスト教徒への入信の儀式
旧約聖書のレビ記にてイスラエルの民が水で罪を洗い清めた話があり、そこから水は「罪の清め・赦し」の象徴となりました。
人は聖書を信じイエス・キリストを通して罪を赦され救われます。最後の審判の時にイエスと共に復活して新しい国で幸せに暮らすためには、洗礼を受けなくてはなりません。
簡単に言うと、洗礼はキリスト教徒になるための入信の儀式と言えます。
カトリックとプロテスタントでは洗礼の捉え方が異なる
カトリックでは洗礼によって得られるキリストの救いを奇跡と捉えており、原罪と自罪、両方の罪の赦しを得られる儀式とされています。
一方プロテスタントでは、キリストによって救われる証と捉えているため、クリスチャンとして生まれ変わることを意味します。
カトリックとプロテスタントに共通しているのは、洗礼はイエス・キリストを追随することの宣言です。
洗礼を受けるためにはどうしたらよいのか
キリスト教の洗礼を受けるには、どの宗派・どの教会に属するのか、近所にある教会などを探す必要があります。
教会が決まったら志願者はその宗派と教会についてや聖書の教え、祈りを学ぶ準備講座などを受講ます。実際には下記の流れです。
- 求道期前
- 求道期
- 洗礼準備期間
- 入信の秘跡・洗礼式
洗礼を受ける理由、洗礼を受けないとクリスチャンではない?
この問題は昔から世界中で議論され続けており、今もなお明確な答えは出されていません。同じ宗派であっても個々の教会、個人によって考え方が異なるからです。
神は慈悲深いので洗礼を受けなくても信仰心があればいいとの考え方もあれば、聖書には洗礼の必要性が記述されているので必要だという人も多くいます。
例えば、マタイによる福音書28章の中で復活したイエスが弟子たちに「父と子と聖霊の名によって彼らにバプテスマ(洗礼)を授けなさい」と語った記述です。イエスの追随者(クリスチャン)になるには洗礼は必ず必要であると綴られています。
さらにイエス昇天後、ローマカトリック初代教皇と謂われる使徒ペトロの伝道に感動した3,000人もの人々が洗礼を受けたと聖書に記されています。
洗礼を受けずともクリスチャンであると自負する人々もいますが、洗礼を受けていないことで聖体拝領を受けることができません。
中には、最期にまとめて罪を洗い清めて天国にいきたいと願い、洗礼を晩年まで行わなかった人もいます。
洗礼を受けることによるメリット|4つの恩恵
洗礼を受けるとどうなるのでしょうか。洗礼を受けると、4つの恩恵(カトリック)があります。
- 原罪と個人の罪、両方が赦される。
- 水と聖霊によって新しい人生を授けられる。
- 神の民である教会のメンバーになれる。
- 成聖の恩恵によって神が魂の中に宿り、生命を一致させることによって人の魂が霊的に生まれ変わり、神の国に入る資格が得られる。
■次のページ:洗礼の種類や儀式の流れを解説