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3通りの道がある三途の川の渡り方を解説
三途の川には3通りの道があり、それぞれで渡り方が違います。また、平安時代末期から三途の川の渡り方についての考えに変化があり、それに伴う風習も生まれました。
では、三途の川の渡り方について解説します。
三途の川の渡り方は罪の重さで変わる
三途の川には3通りの渡り方があり、初七日の審判で下された罪の重さによって渡る道が変わります。
罪のない善人の場合は金銀七宝で作られた橋を渡る
審判によって善人と認められた場合は、金銀七宝で作られた橋を渡れます。安全でラクに三途の川を渡りきれます。
罪が軽い人の場合は「山水瀬」と呼ばれる浅瀬を渡る
罪が軽い人は「山水瀬」と呼ばれる浅瀬を歩いて渡ります。
重罪人の場合は「強深瀬」と呼ばれる急流を渡る
いくつもの罪を重ねて重罪人と下された場合は、三途の川の下流にある「強深瀬」もしくは「江深淵」と呼ばれる急流を歩いて渡ります。矢のように流れが速く、山のように高い波に襲われる難所で、上流からは罪人を砕くほどの大岩も流れてくるそうです。
また、水底に沈むと大蛇に襲われ、浮き上がると鬼に矢で射抜かれるなどの障害もあります。
棺に収める六文銭は渡し船に乗るためのお金
平安時代の末期から橋を渡る考えが消え、全員が渡し船で三途の川を渡るという考え方に変わりました。
ただし、三途の川の渡し船に乗るためには料金を支払わなければなりません。料金は「六文」と決められているので、仏式の葬儀で棺に六文銭を収める風習が生まれました。
年代によって貨幣価値が変わるので正確な数字は不明ですが、六文は現在の価値でだいたい300円ほどです。
六文銭を持たない死者は衣服を剥ぎ取られる
渡し船には六文銭を持っている死者しか乗れません。六文銭を持たない死者が三途の川を渡ろうとすると、十王の配下の老夫婦である懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)によって衣服を剥ぎ取られてしまいます。
奪衣婆は六文銭を持たない死者から衣服を剥ぎ取り、懸衣翁は三途の川のほとりに生えている衣領樹という木の枝に衣服をかけます。衣領樹の枝の垂れ下がる程度によって、死者の罪を計るようです。
なお、死者が衣服を着用していない場合は、懸衣翁によって生皮を剥ぎ取られると言われています。
三途の川は審判の結果次第で渡る場所が変わる
三途の川はただあの世に行くために渡る川ではありません。
三途の川には3通りの道があったり、河原で子供たちが石積みをしていたり、三途の川には意外と知らない風景が広がっています。
もともと3通りの道があったものの、平安時代末期からは六文銭を持たせることで、渡し船に乗って渡れるようになると考えられ、六文銭を棺に納める風習ができました。
六文銭を持っていれば、三途の川を自力で渡る必要はなくなりますが、初七日法要などで故人を供養することは六文銭の有無に限らず大切なことです。
やはり、最初の審判が行われる日であるうえに、極楽浄土へ導くには遺族による供養で、故人の徳を積むことが大切だからです。
また、三途の川には鬼や大蛇などたくさんの妖怪がいます。故人が何事もなく三途の川を渡りきれるように願って、遺族は法要やお参りで故人を供養しましょう。