秋田県内には、独特な葬送習俗が今なお多く見られます。中でも町村部では脈絡と受け継がれてきた地域社会が現在も機能していることで、相互扶助の精神が強く、県南地方の一部地域では香典返しを行いません。
特有の葬儀の慣習も各地に残っており、能代市の一部地域などには「ダミ若勢」と呼ばれる一種の葬式組が今も葬儀の重要な儀式の一端を担っています。
土葬の名残りである霊魂送りの儀式、「ろぐめん折り」と「あとみらず」など多くの葬送習俗が残る、秋田県の葬儀を紹介します。
もくじ
秋田県の一般的な葬儀
秋田県では、前火葬(骨葬)が主流です。県内の約96%が前火葬で弔います。
式次第は主に下記3通りです。
- 通夜→火葬→逮夜→葬儀・告別式
- 通夜→火葬→葬儀・告別式
- 通夜なし→火葬→葬儀・告別式
遺骨は全骨収拾しますが、喉仏を分骨して別に納めることもあります。
秋田県では葬祭業者の葬祭場で葬儀行うケースも増えてきましたが、今もなお農村地域では自宅、町や村では寺院でおこなわれることがあります。特に県南は自宅葬が多いです。
秋田市では一般弔問者が通夜振る舞いに参加することもありますが、親族のみで食事をするのが通例。葬祭業者のサービスが浸透している地域では葬儀後の会食を精進上げやお斎と呼んでいますが、本来、秋田県ではそのような呼び方はなく「御膳」や「お料理」と呼ばれていました。
秋田県は、南北で葬送儀礼に違いが大きいです。
秋田県では葬儀当日に納骨をすることが多い
秋田県では、葬儀当日に納骨をすることが多く、土葬が主流だった頃は、ご遺体の埋葬をすることで葬儀は終わりとされていました。
中でも北秋田市などの県北の地域では、故人を棺に納めることを家移り(やうつり)と呼び、納棺が終わると故人は「ホトケ」として扱われます。
現在は遺骨の状態ではありますが、この地域には埋葬しないことには葬儀は終わらないとの葬送の観念があるために、土葬の頃と同様に即日埋葬が行われています。
町村地区に見られる数珠回し|補陀落(ふだらく)
農業や漁業が盛んな地域では、数名で大きな数珠を回しながら念仏(ご祈祷念仏・極土念仏)を唱える百万遍念仏の信仰が根付いています。「数珠回し」「念仏回し」と地域によって呼び方が違うのが特徴です。
葬儀から初七日まで、毎日喪家に訪れて数珠回しをおこない、補陀落とよばれている百万遍念仏や御詠歌の詠唱をします。補陀落は忌明けまで、七日ごとに行われます。
納棺前の清拭は家族が行う
秋田県でも、病院で亡くなられた場合はエンゼルケアをそのままお願いすることが多くなっていますが、アルコールによる清拭は親族が行うことが多いです。
葬祭業者が見守る中、または業者と一緒におこないます。
枕団子の色が変わったら心残りの証?
秋田市や本庄市などの県中央、県南の横手市などでは、うるち米の枕団子または麦の粉で作った団子の色が黒くなると、死者に心残りがあるといわれています。
能代市・大館市などの県北ではうるち米や玄米、または小麦粉で枕団子を作ります。枕団子の色が変わらないと、故人は寿命ではなく若死だったといわれ、黒くなれば寿命だったと誰もが納得するのです。
また、長寿を全うされた人の枕団子を食べると長生きすることができ、また百日咳の子供に食べさせれば病気が治ると信じられていました。
県南の鹿角市では、未練が残る亡くなり方(自然死ではない)をすると、団子の色が黒くなるといわれています。
県北・県中央に残る葬送習俗
北秋田市では、葬儀翌日から七日間、朝晩とお墓参りをおこなう慣習を今も続けている地域があります。
県北西部の男鹿市の一部地域では野辺送りの際に門火を焚き、その周囲を左回りに三回まわります。
男鹿市は国の重要無形民俗文化財であるナマハゲでも有名であり、県北地方では古くからの民間信仰が生活の中に根付いているため、独特の習俗が今も残っているのでしょう。
能代市・山本郡三種町の各地域に残る土葬時代の慣習
能代市と山本郡三種町は、今でも友引の日の葬儀を避ける傾向が強い地域です。
逮夜は近親者のみで執り行われます。
納骨は葬儀当日が多い中、琴丘町では八日目に仏送りの法要が営まれ、忌明けは三十五日法要とします。
納棺の際、故人にお米と小豆を一握り分ほどを頭陀袋、または五穀袋にイネ・ムギ・アワ・キビ・マメの五穀を入れて持たせます。これらは遺族が事前に用意するケースが多いです。
ろぐめん折りなどの独特の慣習も、今でも時折おこなわれています。
葬儀を手伝うダミ若勢
土葬の頃は墓穴掘りや仮門、枕飾りの四華花や花籠などの葬具を作る10名ほどの男衆の集まりをダミ若勢といいます。
他地域で言うところの、地域の中の葬式組です。ダミとは、東北地方でお葬式のことを言います。
ろぐめん折りを墓地入口に掛ける
葬列が出る前にダミ若勢が墓地に行き、叺(かます)と呼ばれる藁でできた袋に五穀を入れて、紅白の紐縄と三角形の頭陀袋(この地方ではズンダ袋)を結びつけたろぐめん折りを入り口にある専用の木に掛けます。掛け終えて喪家に戻る道中、誰とも口を聞いてはいけません。
ろぐめん折りは、納骨後もそのままの状態にしておきます。
霊魂送りの儀式の一つ「あとみらず」
ろぐめん折りと同じく、あとみらずは霊魂送りの儀式の一つです。
ダミ若勢が葬列よりも先に墓地に向かい、そこに五穀袋を括り付けた叺を木の棒の先にかけてその場に打ち込みます。
今でも時折墓地でみかけることがありますが、執り行われることは少なくなりました。
鹿角市の一部地域に残る野辺送り
県北部の鹿角市の一部地域では葬儀当日に納骨しますが、その際に野辺送りが行われます。
野谷送りは、墓地に到着した際、その場で左に三回まわる慣習のことです。
南秋田郡と由利本荘市、県中央の葬儀の慣習
他地域と比べて、友引などの日柄を気にすることなく葬儀・火葬がおこなわれます。
多くの地区では通夜が営みません。葬儀当日の午前中に香典持参で弔問します。しかし、中には通夜を営む町もあり、その場合、会葬者の多くは通夜に出席することが多いです。
県南に残る葬送習俗
県南は、友引・丑の日・寅の日の葬儀や火葬を避ける傾向が強くあります。
葬祭業者のサービスを利用しても、会場は自宅が8割を占め、あとは寺院がほとんどです。寺院との関係も深く、隣組に属する念仏講などが忌明けまで喪家に訪れて追善供養をおこないます。
横手市や湯沢市などの一部地域では、火葬場にも一般会葬者が訪れることがあるため、香典返しをおこなう慣習があれば火葬場にも即日返礼品を用意します。
横手市や湯沢市など県南部での仏送り|納骨と忌明け
県南部の横手市などでは、納骨と忌明け法要を三十五日目(五七日)、または二十一日目(三七日)、もっとも早くて七日目におこない、それを仏送りと呼んでいます。
かつては四十九日目におこなわれていましたが、繰上げ法要が年々増えています。
県北部の大館市の比内町でも、同様に早めにおこなわれる場合もあります。
通夜がない葬儀
県南では通夜に身内は集まれども、葬送儀礼としての通夜がおこわれることはほとんどありません。そのかわり、地域の講のひとたちが喪家に訪れて、念仏などでお弔いをおこないます。この慣習は仏教の宗派ではなく、地域に伝わる民間習俗の一つです。
土葬時代にも通夜はありませんでしたが、代わりに2~3日、親族と隣組の人々たちが喪家に集まって賑やかに飲食をともにしながら、故人を偲ぶ慣習がありました。
3週間そのままの葬儀の祭壇と仏さん拝みの風習
横手市・雄勝郡・由利本荘市の町村部には、葬儀が終わっても祭壇をすぐには片付けずに3週間そのままにしておく風習があります。その期間中に一般弔問客がお焼香に訪れ、これを「仏さん拝み」といいます。
この地域では、葬儀よりも仏さん拝みで訪れる人の方が多いのが特徴です。喪家は3週間、弔問客に飲食を振る舞います。
まとめ〜秋田県では地域社会による相互扶助が広く根付いており葬儀自体の費用は東北地方で最も低い
かつて葬儀は、寺院を含めた地域社会が執り行っていました。特に土葬の頃は多くの人手を必要としていたため、地域の人々だ助け合って葬儀を執り行っていました。
火葬式となった現在では、地域社会が担ってきたことを葬祭業者が代わりにおこないますが、当然、の分の料金は発生します。
しかし、今も地域の隣組などのコミュニティ活動が活発で葬儀の手伝いもおこなう地域を多く持つ秋田県は、東北地方の中で葬儀費用が最も低いです。その分、地域の人々へのお礼としての会食費用は高い傾向にあります。