広島県のお葬式|葬儀慣習と本願寺派・安芸門徒を紹介|会葬御礼品に祝儀と不祝儀袋のセット?

投稿:2021-05-10
広島県のお葬式|葬儀慣習と本願寺派・安芸門徒を紹介|会葬御礼品に祝儀と不祝儀袋のセット?

広島県の葬送儀礼はごく一般的で、後火葬で弔います。ただし、香典返しを「茶の子」と呼んだりと独自の呼称を用いるのが特徴的です。

北陸三県と並んで浄土真宗の門徒が多く、中でも本願寺派が大変多い地域でもあります。そのため、会葬御礼品にお清めの塩がついていないことが多いです。

また他地域と比べると友引といった日柄などの俗信はあまり見られませんが、唯一、安芸門徒が広めたといわれている「盆灯籠」の習俗が安芸郡にあります。

本願寺派の信徒を指す安芸門徒を含む、広島県の葬儀と慣習について解説します。

広島県の葬儀の特徴を紹介

後火葬が主流ですが、宮島など火葬場を持たない島では場合によっては骨葬を行うケースもあります。通夜振る舞いは基本的に親族のみですが、弔問者に通夜菓子を渡すケースも。

通夜・火葬中にいただく食事はお肉や海老の入っていない精進料理、葬儀後に僧侶や手伝ってくれた人たちへのお礼の会食は精進落ち(仕上げ)と明確に区別していることが多いです。

広島県は浄土真宗の寺院が多く、西部地方は本願寺派の安芸門徒、東部地方は大谷派が多いのが特徴です。

浄土真宗の門徒の人は総本山にある大谷本廟に納骨する人もいるため、火葬場での収骨の際は分骨用に小さい骨壷を別途用意します。

尾道など一部東部地方を除く広島県では、香典返しを茶の子と呼びます。西日本地方ではよく使われれいる言葉ですが、広島県以外では会葬御礼品(粗供養品)や法事の引き出物を指すこともあります。

「茶の子」とは主に、お茶うけ用のお菓子を意味しますが、今では消え物も含めてそう呼ばれるようになりました。

会葬御礼品に祝儀袋と不祝儀袋のセット?

最近では少なくなりましたが、広島県では葬儀の会葬御礼品に祝儀袋と不祝儀袋のセットが用いられることがあります。

会葬御礼品に香典袋を用いるのは、西日本で多く見られる慣習です。

葬儀前に会葬者がいただく立飯(たちは)の慣習

葬儀前に遺族・親族、近親者が故人と最後の食事をともにすることを出立ち膳といいますが、広島県では立飯といいます。

出立ち膳は土葬時代の葬送習俗であり、出棺前の儀式であるため本格的な食事ではなく、椀物や握り飯などといった軽い精進料理でした。

その頃の名残りで、さっと軽く食べられる巻き寿司が今は一般的です。全員着席スタイルではなく、葬儀場に訪れた人から、もしくは手が空いている人からいただきます。

焼香銭の慣習が見られることがある

葬儀の際、焼香台または廻し焼香のお盆に10円~100円の小銭を置く慣習が時折見られます。

お香が高価だった頃は、会葬者が自分の分の香を持参して焼香するのが礼儀でした。持参しなかった場合、その分のお金を出したのが焼香銭です。かつては全国にあった慣習でした。

広島県では、訪問した先で仏壇にお参りする際にも線香代として小銭を置く慣習を持つ地域があります。

広島県にある地域別の葬儀の慣習を紹介

広島県にある地域別の葬儀の慣習

農村部などでは、友引または酉の日に葬儀を避ける地域があります。

広島県は他地域と比べて本願寺派の寺院が多く、一方、呉市・竹原市・福山市といった瀬戸内海に面した南部沿岸地域は、明治時代の神仏分離令まで厳島神社を代表とする神仏習合の寺院が多くあったことで、真言宗、曹洞宗た臨済宗といった禅宗の寺院が多いです。

南部沿岸地域では魔除けの刃物を置く、出棺の際の茶碗割りや棺を左に三回まわす慣習が見られます。

府中市では祭壇の前で写真撮影

府中市の一部地域では、葬儀後に祭壇前で親族が集まって写真を撮ります。

安芸郡など広島県西部の独特の慣習|盆灯籠

盆灯籠とは、安芸一帯の浄土真宗本願寺派の門徒である安芸門徒によって広められたお盆の慣習で、広島県西部地方にしか見られません。

赤・青・黄・橙・白や金といった色紙で作られた、六角錐を逆さまにした灯籠を竹竿にさして、お墓の脇に立てかけます。その形から、朝顔灯籠とも呼ばれています。

伝承によると時代は江戸、娘を亡くした親が竹と紙で灯籠を作って供養したのがはじまりとのこと。

しかし実際のところ、浄土真宗が示す西方浄土は阿弥陀如来の浄土であり、光の浄土とも呼ばれ、かつて石灯籠に明かりを灯していた頃の名残である方が有力とされています。

庶民にとって石灯籠は大変高価であったため、現在のような灯籠を手作りしたものが浸透して安芸地方の習俗となりました。

お盆の季節になると、安芸市など西部地方のコンビニやホームセンターなど店頭にずらりと並ぶ色鮮やかな盆灯籠が並ぶ光景は風物詩となっています。

お盆の時期の墓地の様子は、まるで色の洪水が起きたようで圧巻です。

墓地がない宮島

広島県廿日市市にある厳島神社で有名な宮島は、島そのものが御神体であるため穢れとされる遺体を埋葬することができず、お墓はありません。お墓はもちろん、昨今では葬儀も対岸の宮島口周辺・大野町にある葬祭場で執り行われることがほとんどです。

宮島は火葬場がないことで、通常にはない船での搬送費用が加わります。その負担を慮って、現在でも島民同士の場合は香典返しをしないことも。

葬儀も対岸の町で営まれることがほとんどですが、それでも稀に島内で葬儀が執り行われることがあります。島内で葬儀を行う場合、地域住民たちが葬儀運営をおこないますが、宮島独自の葬送習俗は残念ながら継承されていないようです。

安芸門徒|広島県西部の本願寺派の門信徒

安芸門徒は、広島県、特に安芸地方の浄土真宗本願寺派の門徒を指します。

鎌倉時代末期、親鸞聖人の弟子であった明光聖人が浄土真宗の西国の布教の拠点として光照寺を創建し、室町時代には勢力を拡大。阿弥陀如来への一心帰命の下に結束を強めてゆく民衆に、安芸武田氏・毛利氏といった時の権力者たちはその力を治世に活かし、自らも門徒となって浄土真宗を庇護しました。門徒たちの強固な結束力は、戦国時代の大名にとって強力な兵力となり、同時に潤沢な軍資金をもたらしました。

徳川幕府の時代となると政治と切り離され、安芸門徒の結束力は一時衰退の憂き目を見ますが、その後は高名な僧侶であった慧雲によって多くの僧侶や学僧を輩出、改めて地域密着型の布教に尽力し、再び安芸門徒の活動が活発になりました。その中で、牡蠣の殻を用いられる広島仏壇も作られ、現在では金仏壇の産地の一つとして有名です。

まるで阿弥陀如来の光の浄土の如く金色に輝く荘厳な広島仏壇は、特に浄土真宗の門徒の人々に人気があります。

まとめ〜広島県は浄土真宗の寺院が多いことで葬儀における民間習俗が少ない

浄土真宗では門徒は亡くなると阿弥陀如来によって即成仏できるので、故人の魂が迷うことも戻ってくることもなく、出棺前の茶碗割りといった儀式を行いません。
広島県にある寺院の65%近くが浄土真宗であるため、民間の葬送習俗がみられる地域が少ないのが特徴です。

また、真言宗が多い瀬戸内海沿岸部や宮島などでは少子高齢化によって葬儀の慣習が廃れてしまった地域が多く、自宅葬であっても葬祭業者の画一化された葬儀が営まれるのが一般的となりました。それも相俟って、現代では地域特有の葬儀慣習を見ることは難しくなっています。

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著者:葬儀のデスク編集部
葬儀のデスク編集部
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