福島県は葬儀の会葬者数が多いため、一般葬が主流です。また、地域密着型の寺院が多いことから檀家数が多いのも特徴のひとつ。
喜多方市の飯豊山など、多くの山岳信仰と仏教の神仏習合の歴史を持つ福島県には、神事と仏教の盆踊りが一体となった双葉郡富岡町の麓山の火祭りなどで今も人々の暮らしの中に神仏習合を見ることができます。
そのため檀那寺を持っていても神棚を祀る家もあり、地元にある神社の氏子に名前を連ね、祭りなど積極的に協力する人がとても多く、神道の葬儀・神葬祭も多いです。
祭りや人生儀礼を重んじる地域が多い、福島県の葬儀について紹介します。
もくじ
福島県の葬儀の特徴
南相馬市・会津若松市を除く、福島県は葬儀前に火葬をおこなう骨葬が主流で、即日納骨の地域も多いです。会津・浜通り地方の中には、骨上げ後に納骨をすることもあります。
東北地方に骨葬が多いのは気候風土とならんで、死穢の観念が強いからともいわれています。「ナマボトケ(ご遺体)」のままにしておくことを不浄とみなす傾向が強いため、寺院で受け入れないこともありました。そのため、必然的に骨葬となったのでしょう。
福島氏など県北部地方では、通夜におにぎりやサンドイッチなどの軽食や飲み物を遺族に差し入れする「通夜見舞い」の慣習があります。
通夜振る舞いは親族と葬儀を手伝う近所の人々に振る舞われますが、弔問の際に遺族から誘われた場合は断らずに受けるのがマナー。ただし長居はNGで、時間がなくとも一口は必ずいただきましょう。
香典返しは四十九日法要後に送られるのが一般的ですが、都市部では即日返しがおこなわれることも多いです。
東北地方は地域にある念仏講や観音講などのグループが、動けない喪家にかわって葬儀を取り仕切ることが多くあり、福島県も講や隣組による地域コミュニティが手伝う地域が多くあります。
一部地域では、男性喪主は白い裃を着る慣習が残っています。昔は喪服の色は白でした。白は穢れを祓う清らかな色です。死穢の観念が強い地域では、喪服のみならず豆腐を食べたり塩を撒いたりと、白いものを多く用います。
葬儀に親戚一同が集まることが多い
地縁・血縁で結ばれた地域が多く、親戚づきあいが濃厚であることから、葬儀には親戚一同が集まります。もしも葬儀に参列できない場合は、四十九日法要または納骨に出席します。
東北6県の中でも岩手県に次いで葬儀の会葬者数が多いのは、県内に住む親戚の数の多さも理由の一つです。
故人の枕元や胸元に刃物を置いて魔除け
福島県は天台宗と真言宗、そして曹洞宗など禅宗が多い地域です。
そのため、棺に取り憑く猫の化け物である火車(かしゃ)をこれら宗派の僧侶が法力を持って退けたとの伝承があったことで、魔物避けとして刃物を故人の枕元や胸元に置く慣習が今もなお残っています。
長寿で亡くなった時は紅白のお餅を振る舞う
浜通り地方では、葬儀の料理にインゲン豆を用いたおこわ飯である白ふかしが出されます。白ふかしは、葬儀や法事の時の定番料理です。
また、長寿で亡くなった人の葬儀では紅白の餅がふるまわれることもあります。いわゆる長寿銭と同じで、もらった方は長寿のご利益に肖ることができると考えられています。
骨壷から取り出して納骨
寒冷地では骨壷が割れてしまう恐れがあるため、遺骨をサラシ袋に入れ替えたり、遺骨が土に還るようお墓内の納骨室の地面がむき出しになっていたりするケースがあります。
しかし、福島県のお墓の納骨室はコンクリート等で囲われているため、土に還ることはできません。納骨の際は骨壷から取り出して、納骨室に納められている先祖代々の遺骨と合祀されます。
東北地方で一番神社の数が多く檀家数も多い
福島県にある神社数は3,045社で、東北地方の中でもっとも多く、約2倍の数を誇ります。
寺院数は神社数の半分近くですが、東北地方の中では檀家数がもっとも多く、寺院との結びつきが強くいため人生の節目ごとの儀礼を重んじる地域です。
会津藩内には平安時代から女性たちの間で厚く信仰され続けていた観音信仰、会津三十三観音巡りが領民の娯楽でもあったため、廃仏毀釈の最中でも信仰が途絶えることはありませんでした。
山岳信仰や氏神信仰の厚い集落が今も多く存在し、各地域コミュニティによって祭事が継承されています。葬式は仏教、お祝い事は神道と、それぞれの儀礼を重んじます。
神仏習合の家では、自宅で死人が出た時は神棚に白い紙を貼って隠す神棚封じをおこないます。
旧・泉藩であったいわき市泉町周辺では、明治時代の廃仏毀釈によって藩内から寺院が全てなくなるという、全国でも稀なケースを歴史に持ちます。その状態が長く続いたこともあり、現在でも神道による神葬祭が多くみられます。
寺院との繋がりが強い|震災後の復興をともに支える
2011年3月11日の東日本大震災で福島県は岩手県・宮城県とともに、沿岸部地域は津波によって壊滅的な被害を受けました。その際、津波で電源を流されたことによって引き起こされた福島第一原子力発電所事故で、双葉郡浪江町を含め約10万人もの住民が強制避難を強いられ、2021年現在もなお避難区域の全面解除には至っていません。
避難区域内にあった寺院の中には場所替えを余儀なくされ、復興作業と同時に檀家や地域の人々のために奔走することもありました。
その中には、現在もなお県外に避難している檀家のもとに通って法事をおこなっている寺院もあります。
原発事故による避難地区、そして津波に流された地区に住んでいた人の多くが、地域の中心にお寺や神社がある生活を先祖代々送ってきたことで繋がりがとても深く、遠い地で避難生活を送るにあたり、寺院は故郷との絆を繋ぐ存在でもあります。
沿岸部では津波で多くの寺院も被災したことで当時は葬儀を執り行うこともできず、多くの遺族が悲しみと無力感に打ち拉がれました。しかしその遺族たちのグリーフケアとしての役割を果たしたのもお寺でした。
地域における寺院の有意義性、そして残された者にとって葬儀を執り行うことの重要性を、あらためて認識させられました。
まとめ〜福島県の葬儀費用が大きいのは縁を重んじる地域性の現れでもある
福島県は親戚づきあい、そして氏神信仰や観音信仰が根ざしている地域では相互扶助の精神が強いため、人生最後の儀式である葬儀には多くの人が故人を偲んで集まります。
そのため、葬儀は従来通りの一般葬が主流です。