民間信仰と仏教、そしてカトリックが共存する佐賀県|多種多様な葬送習俗

民間信仰と仏教、そしてカトリックが共存する佐賀県|多種多様な葬送習俗

佐賀県は山岳信仰と仏教が習合した民間信仰や修験道が盛んであったことから、多様な習俗が今も残っているのが特徴です。仏教由来の串に刺した枕団子、民間信仰からの茶碗割りの他に、日光の修験者によってもたらされた釘念仏信仰由来の釘餅などが継承されています。

また、長崎県と同じくキリシタン迫害の悲しい歴史を持ち、迫害から逃れた人々が根を下ろした松島では、今も島民のほとんどがカトリック教徒です。

今なお佐賀県で受け継がれている葬送習俗と葬儀について紹介します。


佐賀県の一般的な葬儀

佐賀県は後火葬による一般的な葬儀が主流ですが、伊万里市や県南部の沿岸地域の一部では、前火葬(骨葬)による葬儀がおこなわれています。

自宅で葬儀をおこなう割合が高い地域ですが、他地域同様、今時の社会事情から葬儀告別式よりも通夜の弔問者数の方が多いです。通夜を伽と呼ぶこともあります。

昔ながらの地縁・血縁で結ばれた地域共同体が多くあり、今も葬儀における相互扶助が強く残っています。

火葬後に遺骨とともに菩提寺へ参詣

葬儀翌日に寺院にお布施を持参してお礼を述べ、今後の法要の日程や僧侶の法話を聞きにいくことを三日参りと言います。

寺院との結びつきが強い地域に残る慣習で、佐賀県の場合は初七日を繰上げ法要で葬儀当日におこなうため、当日火葬後に遺骨とともに寺院に立ち寄って繰上げ法要とともに三日参りを済ませることも。

49個の枕団子と四十九日の釘餅と釘抜念仏

九州全域は浄土信仰、西方浄土の阿弥陀如来への信仰心が特に厚い地域であり、鎌倉時代には浄土宗鎮西派、戦国時代後期より浄土真宗が根を下ろしました。

そこに、栃木県の日光山寂光寺の釘抜念仏信仰が佐賀県にも浸透し、四十九日の釘餅の慣習が入ります。

釘餅は、阿弥陀如来に重ね餅を捧げ、故人には49個の小餅をお供えし、法要後に故人へ捧げた供物の小餅を二個ずつと阿弥陀如来への供物の重ね餅を割った物を親族に配ることです。

釘抜念仏において、人は罪深き存在であるため四十九日の間、四十九本の釘を体の節々に打ち込まれ、その釘は三十三年経たなければ抜けないとされています。釘餅は釘打ちの苦痛をお餅に転嫁させるためにできた慣習です。

また、念仏を生前から数えて四十九万遍おこうなうことで往生できるというのが釘抜念仏でもあります。

お餅で痛みを和らげ、そして追善供養の念仏を唱えることで故人の功徳を積み重ねるのです。

佐賀県内のさまざまな葬儀の慣習

西松浦郡有田町には、故人とこの世との縁切りのために愛用の茶碗を割る慣習があります。

佐賀市など、葬儀の焼香の際に100円を置く焼香銭の慣習があり、焼香台には専用の箱があり、集まったお金は寺院に寄進されます。

佐賀県のさまざまな葬儀の慣習を紹介します。

唐津市の一部地域では出棺の際に棺回しをおこなう

唐津市の一部地域では、出棺の際、親族は死者と同じく頭に三角形の天冠をつけ、棺を三回まわします儀式を行います。

納骨後は、墓前にお団子と故人が愛用していた茶碗にお水を入れてお供えし、行きと帰りは違う道順を通ります。

神埼郡神埼郡一部地域に伝わる串団子(枕団子)

神埼郡吉野ヶ里地方に伝わる枕団子は、串に団子を7個刺したものを7本用意しますが通夜や葬儀ではなく、葬儀翌日の三日供養の際にお供えします。三日供養は十三仏の掛け軸をかけた前に位牌を安置し、供物としてこの串団子を立てます。この枕団子は、49日間の故人の食事です。

四十九日のお餅は新仏に重ね餅を供物として捧げ、参列者にも配ります。

吉野ヶ里町坂本には、佐賀藩初代藩主によって佐賀城の鬼門封じと藩の安泰を祈願して再興された、飛鳥時代末期に開山された背振山積翠教寺修学院があります。そのため、代々この地に住む人々、また全住民が天台宗の信徒という地区もあります。

お斎を茶講と呼ぶ地域がある|杵島郡

杵島郡大町町では、初七日(はつなんかん)法要の会食を茶講と呼び、喪家が所属する組の人を招いて会食を振る舞います。さらに二週間後(十四日目)にあたる、ふた七日にも茶講をおこない、この時は親族が振る舞います。

杵島郡では、追善供養と忌日法要の際の会食を茶講と呼ぶ地域が多いです。

藤津郡では初七日の一七日(ひとなんかん)から始まり、二七日(ふたなんか/14日目)・三七日(みなんか/21日目)と四十九日まで七日ごとに法要をおこないます。

佐賀県内に残る俗信

葬祭業者による葬送儀礼が全国的に定着し、俗信が葬儀に影響を及ぼすことは少なくなりました。しかし、佐賀県、中でも唐津市では葬儀の日柄などを気にする傾向が強いようです。

逆縁

親よりも子供が先に亡くなる、夫よりも先に妻が亡くなることを逆縁と言います。この場合、親、あるいは夫は火葬場には同行できず、骨上げも参加しません。

逆縁の慣習はかつて全国的にみられたものですが、今では少なくなりました。しかし、佐賀県の一部地域ではこの慣習が今なお守られています。

友引と卯の日は避ける

友引に葬儀をおこなうことは、現在でも全国的に最も避けられている俗信です。佐賀県でも友引は避けられています。また、卯の日も避ける傾向にあります。

卯の日が避けられる理由は諸説ありますが、氏神などの民間信仰からくる俗信に、籾振り(お米の種まき)を卯の日におこなうとその年に死人が出る、または卯の日は田んぼの神様の休日という理由で禁忌日とされている地域が多くの農村地域に見られます。これらの俗信がある地域では、葬儀もその日にはおこなわないことが多いです。


カトリック教徒が多い島と特徴的なお墓

カトリック教徒が多い島と特徴的なお墓

佐賀県内には江戸時代、隠れキリシタンが集まる集落がいくつもあり、現在も唐津市鎮西町などカトリック教徒が多いです。

治めていた大村(長崎県)の領民全てをカトリックに改宗させた日本初のキリシタン大名の大村純忠、その甥で同じくキリシタン大名であった有馬晴信などの影響で庶民の間にもカトリックが浸透しました。

江戸時代の禁教令の中でも、信徒たちを庇護し続けていた有馬晴信が失脚し切腹を命じられた後、厳しいキリシタン迫害によって多くのカトリック教徒が玄界灘に浮かぶ周辺諸島へと逃げ延びます。

集団で島に渡ったカトリック信者たちは葬儀の際、仏教の僧侶を招いて仏式に見せかけることもありました。それだけ幕府や藩のみならず、庶民の間でもキリシタンに対して厳しい目が向けられていました。

キリスト教らしく十字架を象った墓石もありますが、多くは一見どこにでも見られる縦長の和型の墓石、しかしその先端に十字架の装飾がつけられた独特なデザインとなっています。

松島・馬渡島(まだらしま)はカトリック教徒が多い島

唐津市鎮西町に属する馬渡島は隠れキリシタン、かつて江戸幕府の迫害から逃れるためにキリシタンの人々が集団移住した島です。

現在も島民の半数近くがカトリック教徒です。島の港側の地区が仏教徒、カトリック教徒は山側と住み分けていました。

松島も同様に隠れキリシタンの島であった歴史を持ち、島民のほとんどがカトリック教徒です。

教会の敷地内に墓地があり、現在では納骨式のお墓ですがまだ数十年前までは寝棺に納めての土葬でした。墓地中央の道を軸に、男性は右側、女性は左側の敷地に埋葬という独特な葬送儀礼を持っていました。

また、墓石を必ず建てる概念もなかったため、昔のお墓の中にはブロック状の石が積まれただけで名前など一切刻まれていないものもあります。

まとめ〜同一の宗教を中心とした地縁血縁で繋がる地域が多くある佐賀県だからこそ、葬送習俗も残っている

隣組の中にある講の活動が盛んな地域では相互扶助の精神が強く、慣習と伝統を重んじる傾向にあります。キリシタンの弾圧にも耐え抜いた地域の結束力は信仰の力だけではなく、その地方の人々が持っている気質とも言えるでしょう。

それが地域の風習や葬送習俗も守り、今日まで受け継がれてきた証です。 

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