岩手県のお葬式|お通夜と逮夜と骨葬・六文銭に1億円?独特の葬送習俗を紹介

投稿:2021-01-12
岩手県のお葬式|お通夜と逮夜と骨葬・六文銭に1億円?独特の葬送習俗を紹介

岩手県の人々は、葬儀の弔問客を盛大にもてなして礼を尽くします。

本州で最大の面積をもつものの、人口密度は47都道府県の中で下から2番目ですが、葬儀における飲食費は47都道府県の中でダントツの1位です。

人情に厚く面倒見の良い県民性は、死者に対しても向けられています。

例えば死者に持たせる六文銭において、極端な例では故人が冥土の旅でお金に困らないようにと1億円と書いたものを持たせたりなどの風習です。

本当かなと笑いそうにもなりますが、ユーモアの中に岩手県の人々の死者を心から心配する気持ちが伝わってきます。

岩手県に伝わる、様々な葬送習俗を紹介します。

岩手県の一般的な葬儀

県内ほぼ全域で葬儀前の火葬、骨葬がおこなわれていますが、市街地では家族葬で後火葬をおこなうことが多いです。

岩手県の葬儀といえば、通夜が連日続く事でも知られています。岩手県は面積が広く、人の往来が簡単ではなかった時代の名残です。通夜の他にも、おちつきという習わしも見られます。

そのほかにも下記の特徴があります。

  • 葬儀場には参列者が先に入場、その後に遺族、最後に導師が入場
  • 葬儀の祭壇は白木造りが主流
  • 埋葬は葬儀当日が多い
  • 香典返しは即日

岩手県の葬送の習俗を解説します。

通夜は招待制?弔問の際のマナー

岩手県では、通夜は招待制であることが多いです。通夜に招かれた場合、香典とは別に御夜食料で3,000円を包みます。

一般弔問客への通夜振る舞いはありませんので、招待を受けていない場合はお焼香が済んだら帰りましょう。

気仙地方の心遣い「おちつき」

大船渡市、陸前高田市、住田町の一部地域では、葬儀を自宅で行う場合、弔問者にうどんとお餅を出してもてなす「おちつき」という習わしが今も残っています。

かつて道路・交通事情が悪く、往来が大変だった頃の名残です。

まずは一服との意味と、足を運んでくれた人への感謝とおもてなしの気持ちが込められています。

盛岡市などの逮夜

盛岡市やその周辺地域では、火葬後と葬儀の間に逮夜を設けています。

葬儀の流れは、「通夜→火葬→逮夜→葬儀」であり、お逮夜は身内のみでおこなわれます。

関市は国内における樹木葬発祥の地

現在、世界中で年々利用者が増えている自然葬の一つである樹木葬。本来は墓標の代わりに樹木を植え、納骨は基本的に剥き出しの状態で埋葬するものです。

しかし日本では、一定期間内、骨壷に納めた状態で埋葬し、のちに合祀されることが多いので本来の意味の自然葬とは少し趣が異なります。

日本での樹木葬は、地元住民の理解を得て一関市の臨済宗大慈山祥雲寺の前住職が1999年に樹木葬墓地を作ったのが始まりです。現在は分院であった知勝院が宗教法人として独立し、引き継いでいます。

知勝院の樹木葬は、墓標が樹木で遺骨を土に還すだけではありません。同時に里山の保全と育成が含まれています。

里山とは都市部と原生的自然との間にあり、農地・ため池・薪などを賄う場所であり、程よく人の手入れが入った山です。そこに暮らす生き物たちにも理想的な生息地です。

しかし近年、過疎化が進み里山が放置されることで、絶滅に追いやられる生物が増えています。

知勝院では、地元の雑木林を樹木墓地として管理することで、その里山の環境保全にも力を入れているのです。

このことから、知勝院での樹木葬は本来の自然葬と言えます。

岩手県内にある独特な葬送習俗

岩手県内にある独特な葬送習俗

岩手県は、秋田県側は豪雪地帯、北上川沿いの内陸部は冬は寒さ厳しく夏は蒸し暑く、太平洋沿岸部側は一年を通して安定した気温かつ雨量が多い海洋性気候という豊かな風土を持ちます。その多様な風土から生まれた民間信仰は、葬儀習俗にも現れています。

南部は通夜もしくは火葬後に伏鉦を叩き鳴らしながら、もしくは玉数108個の数珠を回しながら、棺の前で南無阿弥陀仏と唱える百万遍念仏の慣習があります。地元特有の念仏信仰が葬儀の慣習となったのでしょう。

それぞれの地域の民間信仰からうまれた独特の習俗を紹介します。

北上市の輪の儀礼

葬儀後に会場の外でおこなわれる、葬列に出る際の儀式が北上市の一部地域でおこなわれています。

それぞれに遺骨や遺影、供物と旗などを持った遺族と親族が、互いを白い布で結んで連結し、ゆっくりと歩きながら輪になります。そして僧侶の読経が響く中、遺族たちは念仏を唱えながら同じ場所で数回ぐるぐるまわると、先頭から抜けて再び一列になってお墓へと向かいます。

故人の魂の鎮魂と最終的な最期の別れの儀式です。

花巻市のマイリノホトケ

マイリノホトケは民間信仰の一つであり岩手県内に見られますが、現在でも盛んにおこなわれているのが花巻市とその周辺地域です。

多くは聖徳太子像や阿弥陀如来ですが、他にも釈迦涅槃図や不動明王などの仏像や掛け軸を地域の人々がお寺に持ち寄って拝む風習です。

拝み日と呼ばれる毎年11月末頃に、供物を持ち寄り念仏を唱え、食事をともにします。

花巻市では、葬儀の際にマイリノホトケとしている掛け軸を故人の枕元にかけて冥福を祈る慣習を、受け継いでいる家を見ることがあります。

遠野地方では遺影を菩提寺に預ける

遠野市宮守町一帯では、江戸時代末期から明治時代にかけて葬儀の後に供養絵額を菩提寺に納める習わしがありました。

遺影のルーツの一つともいわれており、現在の遠野地方では遺影を菩提寺に預けます。

中でも、臨済宗妙心寺派の長泉寺では多くの供養絵額を見ることができます。

元々は、若くしてこの世を去った家族への供養として、あの世で故人が幸せに暮らしている日常の様子を絵にしたのが始まりです。

浮世絵の如く色鮮やかに、そして故人が生き生きと描かれている様に、遺族でなくとも誰もが頬を緩めます。絵額の中に記された戒名を見なければ、供養の絵画だとは思いません。盛岡地方の供養絵額では、肖像画の形式で描かれました。

日露戦争以降、供養絵額は一人で描かれるようになり、写真が導入されると現在の遺影へと変化していきます。現在も菩提寺に預けるのがこの地方の慣習です。

悪い知らせは耳ふたぎ餅(耳塞ぎ餅)を食べさせる

耳ふたぎ餅はお米の産地に見られる慣習で、各地で見られます。

岩手県一関市も米所のひとつで、お餅だけで200種類以上の食べ方があります。また、冠婚葬祭・祭祀など、生活の中のあらゆる行事にお餅料理が振る舞われるお餅文化があることでも有名です。

中でも、もち本膳は礼儀作法に小笠原流、料理献立は四條流で進められる伝統料理となっています。

一関市の耳ふたぎ餅は、元は餅を食べさせることが目的ではありませんでした。

お年寄りに、その方の友人が亡くなったことを告げる際に力落としとならないように、お餅をついてあげるなどの言葉で暗に伝えていた習わしから来ています。

現在では耳ふたぎ餅を食べさせます。耳ふたぎ餅を出された時点で自分の知人が亡くなった事がわかるので、直接的なショックを回避することができると考えられています。高齢者への配慮のあらわれが、耳ふたぎ餅です。

岩手県南部の胆沢郡では耳ふさぎ餅と呼び、葬儀後に参列者に配る慣習があります。こちらは死者の声に招かれないようにするための、呪術的な意味を持つものです。

久慈地方の郷土料理おひら

岩手県北東部太平洋側地域にある、久慈市や九度郡洋野町大野の郷土料理・おひらは、お椀型の麩を用いた汁物です。出棺前の出立ち膳としていただく地域があります。

仏事では必ず作られる料理です。

まとめ|岩手県の葬送習俗には、多様な気候風土と豊かな自然が生み出した思いやりの心が詰まっている

岩手県の多様な気候風土と豊かな自然が、山岳信仰から発生した山伏神楽、そして庶民の娯楽として発展した南部神楽などの伝統芸能やおしらさまなどの民間信仰を多く生み出しました。

それらは現在も県内各地域で継承されています。人との繋がりが基盤である地域コミュニティがしっかりと機能している、葬送習俗が受け継がれるための環境が残っているという証であると言えるでしょう。

また、厳しい気候風土や交通の便が悪い地域では、あたたかい汁物などを訪問客に振る舞う慣習が今なお残っており、感謝と思いやりの精神が培われていることがわかります。

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著者:葬儀のデスク編集部
葬儀のデスク編集部
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