富山県の葬儀は参列者数が多く、簡素化が進む世情とは無縁で盛大に営まれます。また、従来通りの葬送儀礼を重んじているのが特徴です。
富山県人の中で、信仰を持つ人の9割近くが浄土真宗の門徒であるため、葬儀には友引や魔除けの刃物といった俗信はありません。
江戸時代までは神仏習合の立山信仰が盛んだったため、少ないものの天台宗と真言宗の寺院もあります。富山市の名の由来となった古鍛治町にある古刹・富山寺(ふせんじ)もかつては山王権現を祀っていた寺院です。
お寺よりも神社の方が多いものの、浄土真宗による仏教が浸透していることで葬儀も仏式が主流です。
今も和菓子が多用される富山県の葬儀と、浄土真宗の本願寺派と大谷派の葬儀の違いなどを詳しく解説します。
もくじ
富山県の葬儀の特徴
富山県は浄土真宗の門徒が多いことから、土葬が主流だった大正時代にはすでに火葬率100%でした。
火葬後の遺骨は全て骨壷に納める全収骨ですが、浄土真宗の門徒の場合は本山への納骨をおこなうことがあるため、喉仏のみ別の骨壷に納めて分骨します。
富山県は浄土真宗、特に本願寺派が圧倒的に多く、今なお町内会に念仏講などがある地域では葬儀の手伝い、そして通夜の際は念仏を唱えに喪家を訪れることも多いです。
地域内の喪家が属する隣組の人たちによって、葬儀の手伝いがおこなわれることも。
通夜弔問者を見送った後に、親族と隣組など手伝いの人たちに精進寿司とオードブルで通夜見舞いを振る舞いますいますが、一般弔問者へは、500円ほどの箱入り和菓子やお菓子の詰め合わせを通夜菓子として渡されます。
一般会葬者は葬儀告別式に訪れるのが一般的です。日中の参加が難しい場合は通夜に弔問します。
通夜・葬儀告別式において、受付に記帳場が設けられていないことがほとんどで、他地域から訪れた人は戸惑うことも多いです。
浄土真宗で葬儀を執り行う場合、僧侶へのお布施とは別に御佛礼として3万円~10万円ほどを用意します。これは、葬儀に用いるご本尊の掛け軸や棺に掛ける七条袈裟を借りた場合のお礼です。
西部地方の一部地域では、昔でいうところの野辺送り・火葬場へ向かう際に全員が白装束を身に纏う慣習が今も時折見られます。
供物にはどら焼きの盛り籠&返礼品にも和菓子やお菓子
富山県は江戸時代から続く老舗の和菓子店が多くあることで、多くの種類の和菓子が冠婚葬祭に用いられています。
江戸時代、富山藩は現・婦負郡、そして新川郡の一部地域のみであり、他は前田家本家の加賀藩の所領でした。
その加賀藩は初代藩主前田利家公の影響で茶道が盛んであったため和菓子文化もともに発展しました。現在も富山県に老舗和菓子店が多い理由です。
葬儀や法事の際にはいわゆる葬式饅頭である上用饅頭を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、富山県では甘酒饅頭もしくはどら焼きであることが多く、どら焼きをいっぱいに詰めた盛り籠の供物があるほどポピュラーです。
香典返しも半返しの慣習はなく、即日返しが主流で香典金額にかかわらず一律2,000円~3,000円ほどの返礼品を返します。
そのお返しも、和菓子やお菓子の詰め合わせであることが多いです。
葬儀に参列する前の合言葉は「100円玉持った?」|焼香銭
葬儀や法事の時に焼香銭の慣習があるため、あらかじめ100円玉を用意してから参列するのが一般的でした。焼香台、または廻し焼香のお盆には専用の賽銭箱があり、そこに100円玉を入れ、集まったお金は半紙に包んで寺院に寄進します。
この慣習は線香が高価だった頃、会葬者は線香持参で弔問に訪れるのがマナーであり、万が一忘れた場合は線香代を払ってお焼香をしていた名残です。時代とともに形だけ残りましたが、この慣習もあまり見られなくなりました。
棺に白い布の綱をかける|善の綱
一反ほどの長さがある白いサラシの布を綱状にして棺に巻き、余った部分を出棺の際に身内の女性たち、または近親者たちが手に持って歩きます。
サラシから手を離した時点で、死者はこの世と切り離されると考えられており、自宅から出棺する際に、今でも時折見られる慣習です。
遺族は葬祭場で待機|火葬後の箱収骨
富山県の火葬場は古い施設が多く、待合室など待機場所がないところがあるため、火葬が始まると遺族たちは葬祭場に戻って待るケースも多いです。
火葬が済むと斎場の職員が収骨して桐の箱に納め、葬祭業社が葬祭場に運んでくれ、この慣習を「箱収骨」と呼んでいます。
火葬中、葬祭場では繰上げ初七日法要が営まれますが、高岡市など斎場内に待機室があるところの場合は火葬後に行われるケースが多いです。
精進落としに出席した人への引き出物に和菓子やお菓子、御華束(おけそく:丸餅)の詰め合わせが渡されます。
また、葬儀終了後には会葬者全員に、花籠の生花や供物(お菓子やフルーツ)をおすそ分けする、おさがりの慣習があります。昨今では、このおすそ分けは別途袋に詰められた物が用意されていることがほとんどです。
四十九日法要の香典には黄白の水引き
四十九日法要からは、香典の水引は黄白の物を用います。
黄白の水引は京都の慣習ですが、江戸時代に加賀藩の前田家は公家との交流があり、中でも摂家である二条家・鷹司家と縁組を結んでいたことで、京都の儀礼も取り入られたことが所以です。
地元紙の北日本新聞などのお悔やみ欄を利用
北日本新聞・北陸中日新聞・富山新聞(北國新聞)の地元紙、そして読売新聞といった全国紙のお悔やみ欄の掲載料が無料であり、葬儀の案内または葬儀が終わった旨を知らせるのに利用されています。
富山県は地域の結びつきが強い
富山県は冬は寒さが厳しく、また積雪量も多いため、地域の人々が助け合わないと生活するもの一苦労です。
また、明治時代、廃仏毀釈を徹底的におこなった富山藩に対して強い抵抗を見せた民衆の仏教を中心とした結束の強さは、現在も変わらず地域に根付いています。
葬儀においても地域の相互扶助が強く、葬祭業者に依頼した葬儀であっても隣組など地域の人々の手伝いが入ることが多い地域です。
厳しい気候風土ならではの血縁・地縁関係が濃密な地域社会から成り立っている富山県では、多くの伝統芸能やお祭り、慣習などが受け継がれています。
しかし、中でも県北東部の新川地域の農業・漁業地区では近年過疎化が進み、伝統文化と慣習、地域独自の葬送儀礼の継承が難しくなっているのが実情です。
まとめ 富山県では今も規模の大きい葬儀が主流
富山県は浄土真宗王国と呼ばれるほど門信徒が多い地域です。
門徒の集まりである念仏講などが各地域にあり、そこで葬儀が出た際は通夜にお念仏を唱えたりといった活動がおこなわれています。
講のみならず、地域づきあいが強く人生儀礼を重んじるため葬儀参列者数が多く、その香典返しは半返しとまではゆかなくとも会葬者全員に別途持たせるおさがり(引き出物)の費用、そして親族と近所の人々に振る舞う飲食費も大きいです。
葬儀の簡素化が進む中で、盛大に葬儀を行うのが富山県の葬儀の特徴だと言えるでしょう。