愛知県では従来の葬儀形式を重んじる傾向が強く、多くの葬祭業者ではリーズナブルな価格設定であってもサービス内容を充実させているところが多いです。
そして、葬儀プランにも、愛知県特有のお値打ち文化が反映されています。
また、大手冠婚葬祭業者が古くから根付いていることで、早くから画一化された葬儀となっているのも特徴の一つ。
古くから続く慣習はほとんど見られなくなりましたが、他地域からの住民の転入がない地域では、通夜の際に「淋し見舞い」を持っていく慣習が今なお残っています。
名古屋市を中心とした尾張地方と、岡崎市を中心とした三河地方では文化風習も違えば葬儀の傾向も少し異なります。それぞれの違いもあわせて、愛知県の葬儀を紹介します。
もくじ
愛知県の葬儀と慣習
愛知県は後火葬が主流ですが、常滑市では「前火葬」で弔います。「仮通夜ー火葬ー通夜ー葬儀・告別式」の流れで、葬儀当日に繰上げ初七日をおこない即日納骨を行うことも多いです。
阿久比町でも時折、前火葬での葬儀が執り行われます。
愛知県は尾張地方・三河地方、そして離島の大きく3つに分けられ、文化風習にも違いが見られます。
共通しているのは、身内意識が強く、通夜・告別式両方に参加する人が多いこと。
基本的に通夜は遺族と親族、そして故人と親しかった人が弔問し、それ以外は一般会葬者として告別式に参列します。
一般会葬者の場合、通夜はお焼香が済んだら、告別式は出棺を見届けたらすぐに帰ります。
名古屋市内では、一般会葬者への通夜振る舞いはありません。通夜振る舞いは親族とごく親しい人に限られます。料理は、簡単に食べられる助六寿司に饅頭などの菓子類が一般的です。
津島市の一部地域では、出立ち膳に胡椒汁が出されますが、この慣習は愛知県ではなく、木曽川を挟んだお隣の三重県にある慣習です。津島市から岐阜県にかけての木曽川流域の地域に見られます。
香典返しは、即日返しよりも忌明け前後に半返しが主流です。名古屋市や春日井市などの尾張地方では忌明け後に送り、設楽町や東栄町などの東三河地方では忌明け頃に届くように送ります。
渥美半島の一部地域や日間賀島ではかつて新生活運動が取り入れられた経緯があり、現在でも町内会での香典金額などの取り決めがあります。
渥美半島では会葬御礼品が香典返しを兼ねているため、後日、香典返しは行いません。
通夜弔問の際に持参する淋し見舞い
愛知県では、箱入りお菓子を通夜の席に持参する、「淋し見舞い」の慣習が時折見られます。昨今では、品物の代わりに2,000円ほどを包むことも。
本来は寝ずの番をする遺族や親族への差し入れであり、通夜に訪れた人たちへの茶菓子としてその場で振舞われていました。
尾張地方は神社仏閣が多くあること、そして古くから茶道が盛んであるため和菓子どころでも有名です。
葬儀・仏事には上用饅頭は必須、中でも、麩まんじゅうで有名な老舗和菓子屋の上用饅頭、そして某老舗の酒まんじゅうは仏事の定番。また、他地域への、仏前の供物としてのお土産でも定評があります。
しかしこの慣習は都市部、外部からの移住者が多い地区ではほとんど見られません。名古屋市内でも古くからある住宅地や郊外、郡部、三河地方では今も残っています。
設楽郡東栄町では、淋し見舞いの菓子箱と共に2,000円を包んで持って行きます。
愛西市では淋し見舞いを「伽見舞い」と呼び、葬儀翌日には三日見舞いと称して、親戚がお菓子・赤飯、お花などを持ってゆく慣習も見られます。
葬儀は繰上げ法要は当たり前
愛知県では繰上げ初七日は一般的であり、葬儀当日に続けて執り行われます。
その分の香典は用意する必要はありませんが、繰上げ法要に招かれた人は通常の香典にお料理分の金額も上乗せして包むのがあマナーです。
尾張と三河では骨壷のサイズが異なる
同じ愛知県でも、尾張と三河では骨壷のサイズが違います。
- 尾張地方:4寸
- 三河地方:6寸or7寸
お墓の収骨スペースの違いが骨壷のサイズの違いに現れているためです。
尾張地方では足から順に少量ずつ、そして歯と喉仏は必ず拾い上げ、残りは火葬場で供養されます。
通夜の装いに喪服が敬遠される地域もある
名古屋市などの都市部では、通夜も葬儀も喪服です。
しかし、他地域からの転入者がほとんどない昔ながらの町や郊外では、通夜は喪服よりもフォーマル感の弱いきちんとした装いが好まれます。
- 男女とも、紺やグレーなどのダークカラーのスーツ
- 男性はネクタイと靴下は黒、またはダークカラー
- 女性は肌の露出の少ないワンピース、紺もしくは黒いブラウスと丈の長 いスカートの組み合わせなどもOK(白いブラウス+黒カーディガン)
尾張地方の葬儀の特徴
名古屋市の中には、伝統と格式を葬儀に持ち込む風潮が今もあり、格式を重んじる家、社会的立場・地位がある故人の葬儀や社葬御用達の葬儀社があるほどです。
名古屋のローカルルールの一つに、贈答品を贈る相手が名古屋の人の場合は地元の老舗デパートを、相手が愛知県以外の人の場合は全国展開しているデパートを、といった独特のTPOが葬儀の場においても存在します。
そしてもう一つ、名古屋には何かを購入する際にお値打ちかどうかを見る傾向があります。それは物をディスカウントさせるのではなく、その品物にプラスアルファがあるかどうかを見るのです。
他地域では霊柩車がオプション扱いである価格の葬儀プランであっても、名古屋・尾張地方では初めからセットプランに入っていることが多く、お値打ち感を抱かせます。
名古屋市内は地下鉄網が発達しているため、駅周辺という立地条件が良い場所に各社の葬祭場が集中し、また、住宅街・地域ごとにもあります。
都市部では葬祭業者が、山間部や沿岸部では農協が利用されることが多いです。
地域のコミュニティ、組による葬儀の手伝いはあるものの、総出での手伝いは見られなくなっています。特に都市部や新興住宅が集まる地域では外部からの転入者が多いため、昔ながらの慣習は残っていません。
受付などの手伝いは親族または友人、会社の同僚がおこないます。
尾張地方は寺院葬も多い
尾張藩が多くの寺院を保護してきたことで、現在も全国1位の寺院数を擁する尾張地方は檀家数も多く、寺院との結びつきも強い地域です。
尾張徳川家の菩提寺が浄土宗であったことで、庶民の中にも浄土信仰が根づきました。現在でも、名古屋市内には浄土宗の寺院が数多くあります。
地域ごとにお寺や神社が必ずあり、寺院が運営する幼稚園やお祭りなどを通して結びつきが強く、また、寺院経営の葬祭場も多くあるため、寺院葬は珍しくありません。
名古屋の財界人や著名人、格式を重んじる地元の企業は、千種区覚王山にある日泰寺で一般葬または社葬を執り行います。
日泰寺は歴史は浅く、明治時代にタイ王国より贈られた仏舎利(お釈迦様の骨)を安置するために創建された、日本で唯一どの宗派にも属さない寺院です。(三年交代で各宗派の代表が住職を務めている)
宗派に関係なく葬儀が執り行えるという、利便性もあります。
三河地方の葬儀の特徴
三河地方は大きく2つにわけられます。豊田市・岡崎市を中心とした西三河地方、渥美半島含む豊橋市や郡部の東三河です。
特に東三河は古くから静岡県西部と長野県南部の文化の影響を受けているため、他の三河地方や尾張地方とは異なる文化風習を持ちます。
豊橋市で寺院葬(お寺の本堂)をおこなう場合は、骨葬で執り行われることがあります。
豊田市など西三河地方のお非時(おひじ)とは?
葬儀開始前に故人を囲んでの最後の別れ膳を出立ち膳と呼びますが、三河地方ではこれをお非時(おひじ)と呼びます。
正午以前にいただく食事をお斎、正午以降にいただく食事がお非時です。この地方は昼食を兼ねているので、お非時と呼ばれるようになりました。
三河地方では隣組による相互扶助が今もある
三河地方では尾張地方で見られなくなってしまった冠婚葬祭における慣習が今も残っているのは、親戚付き合いが強い、地縁血縁で結ばれた地域が多くあるからです。
そのため尾張地方よりも、通夜・葬儀ともに参列する人の数が多い傾向にあります。
日間賀島の葬儀と慣習
日間賀島には火葬場がないため、南知多町まで船で出向かなければならないことから、前火葬(骨葬)、島内の寺院にて葬儀が執り行われます。
僧侶の枕経が終わると、地元の念仏講の女性たちによってお念仏と百万遍念仏を行われます。
葬儀の手伝いは親族と地元の人々が手分けして行い、通夜振る舞いは多くの島民が集まって、盛大に営まれるケースが多いです。
日間賀島にもかつて新生活運動が推奨され、冠婚葬祭の簡素化を取り入れた経緯があり、供花や香典返しなどの取り決めが町ごとにあります。
日間賀島には「マドウクシャ」という、100年以上長生きした猫が化けた妖怪が葬儀の際に遺体を隠してしまうという伝承がありました。葬儀の際には猫を近づけてはならないとの俗信があります。
まとめ〜愛知県の葬儀で昔ながらの慣習が見られるのはごく一部地域のみ
都市部で昔ながらの葬儀の慣習がほぼ見られなくなったのは、愛知県も他地域と同じです。
しかし、葬祭業者の画一的な葬儀が定着したことが一番の理由ではなく、街そのものの変容、都会化が進んだことも大きく関わっています。
たとえば名古屋市内では、下町文化を残していた地域が再開発によって生まれ変わり、それに伴い地域社会も変容を余儀なくされ、慣習を受け継ぐことが困難となてしまいました。
それは岡崎市や豊田市といった、三河地方の都市も同様です。