福岡県は、お茶の発祥でもある日本最古の禅寺・臨済宗の聖福寺を始め禅寺が多くあり、檀家との結びつきが強いのが特徴です。そのため、葬儀時間は比較的長く、シンバルなどの鳴り物が響渡る特徴的な模様を見せる葬儀形式もあります。
三大祭りの一つである「博多祗園山笠」を擁する博多ならではのしきたりなど、福岡県各地に残る葬儀の習慣を紹介します。
福岡県の一般的な現代も残る葬儀の形
福岡県の一般的な葬儀の式次第は、「通夜→葬儀告別式→火葬」が一般的です。
久留米市など筑後地区の一部地域では、骨葬がおこなわれる場合もあります。
※「仮通夜→火葬→通夜→葬儀告別式」もしくは「通夜→火葬→葬儀告別式」
福岡県では「おとむらい」、または「しまい」と呼ばれる事がある葬儀の流れは地区によって多少の違いはありますが、ほぼ全域で同じです。
都市部では繰り上げ初七日法要を行うところも増えてはいますが、郊外などでは従来通りの忌日法要が行われています。
葬式だけの仏教ではなく、昔からの檀信徒が多い事で寺院葬もよく行われており、葬儀後の精進落としの席に導師様が同席する事も多いです。
特徴的な葬儀の形式を紹介します。
福岡では骨壺が小さく、通夜は肌色のストッキング
火葬後の遺骨に関しては部分収骨で骨壷は小さく、残された遺骨は火葬場の慰霊塔などで合祀されます。中には、収骨は喉仏のみの事もあるようです。骨上げは素材の異なる箸(木と竹)、または竹箸を用いて二人一組で行います。
通夜・葬儀に参列する際の服装は、共に喪服でも良いとされていますが、女性の場合、通夜で喪服を着用する際はストッキングの色を日常通りの肌色にします。
福岡地方で通夜に招かれたら必ず持参する通夜見舞い
太宰府市では通夜の後に親族のみで会食を行います。その際、通夜見舞いとしてお酒やお菓子などの品物、または1,000円~3,000円を香典とは別に包んで渡します。
※地域によって通夜食の規模が異なります
一般的な通夜振る舞いでは必要はありませんが、通夜見舞いは寝ずの番をされる遺族や親族への差し入れです。遺族を気遣うために、1,000~2,000円程の簡単に食べられる物を持参しても差支えはありません。
博多では葬儀に長法被の正装?
福岡三大祭りの一つ、博多祗園山笠がおこなわれる福岡市博多区では、葬儀の時に喪服の会葬者に混じって山笠の久留米米絣の長法被姿を見る事があります。
この長法被は祭りの正装であり、山笠の期間中は冠婚葬祭での着用が許されています。
そしてこの地区では、故人を乗せた霊柩車で櫛田神社の前を通らないとする暗黙のルールがあります。博多祗園山笠は櫛田神社の奉納祭であり、神道では死者を穢れとして見做すことから配慮されているという説が有力です。
出棺前に出立ち膳をいただく習わしが残る地域がある
大牟田市の一部地域では、出棺前に故人と会葬者との最後の食事である出だし膳をいただきます。
昨今では、葬儀開始前のお別れ膳と混同されがちですが、それとは全く異なるものです。出立ち膳は土葬時代の儀式の名残であり、簡易的な食事です。
ただし、小倉市で慣習となっている出だし膳は、葬儀開始前に頂くしっかりとした会食を指します。
糟屋など湯灌をおこなう地域が多い
福岡県では故人の最後の入浴となる湯灌を行うことが多く、糟屋ではかつて女性親族のみで行う慣習がありました。現在ではほとんど、葬儀社・専門業者が行ないます。
臨済宗の葬儀は故人が仏の弟子入りをするための儀式がある
臨済宗の葬儀には二種類の儀式が含まれます。
授戒:故人が仏の弟子入りをするための儀式
引導:故人を浄土へおくる為の儀式
授戒の儀式の際、剃髪の偈が唱えられる中、剃髪がおこなわれます。しかし実際は、カミソリをあてて真似るだけのものです。最後に引導法語を行い、仏弟子として故人を浄土へおくるための締めに大きな声で喝を発します。これによって故人は未練を断ち切るのです。
鼓鈸(くはつ)と呼ばれる鳴り物、鐃鈸(にょうはち)と呼ばれるシンバルのようなものと太鼓を打ち鳴らしながら往生呪が唱えられる中、会葬者はお焼香を行います。お釈迦様の入滅時に、集まった人々が持ち寄った楽器を鳴らして悲しみを現したとのいわれがあります。
臨済宗でのお焼香はおおむね1回とされており、高く掲げずに移し置くだけ。回数は1回でも3回でもかまいません。
福岡県の各地に残る伝統的な葬儀に関するしきたり
福岡県の都市部を除く他地区では、町内会よりもより家庭に深く入ってのお付き合いとなる地域のコミュニティ、隣組(勝俣班)を持つところがあります。これは大分県も同様です。
隣組がある地域では自宅葬をおこなう家が多くあり、家と隣組によって葬儀のしきたりが受け継がれています。一般弔問者への通夜振る舞いがない場合でも、親族と隣組の人たちへの通夜振る舞いは行います。
隣組がある地域は、戸建てが多い住宅地です。
各地に残る伝統的なしきたりを紹介します。
大牟田市|友引と丑の日は葬儀をしない
大牟田市では友引と丑の日の葬儀を禁忌とする考えが残っています。
浄土真宗以外は、故人は四十九日かけて冥土への旅を続けて浄土へたどり着くと考えられています。しかし丑の日に葬儀を行うとその行程が遅れ、四十九日が来ても成仏できないとされているのです。牛=牛歩をイメージさせる事から、友引と共に避けられています。
九州以外では、丑の日と子の日を禁忌とする地方もあります。歩みが遅いとの自覚を持つ牛が一日早く、神様の居る場所に向けて出発した結果その背中に乗っていたねずみとともにいち早く到着したという、干支の成り立ちの話からきたもの。
牛は知らずにその背中に何かを乗せたまま共に連れて行ってしまうという、友引に似た理由で丑の日が禁忌とされます。子の日は丑の日とセットで避けられているというところです。
関東より北の地方では、寅の日を嫌う傾向があります。その理由は、故人が寅に乗ってこの世に戻ってきてしまうからです。現在でも栃木県には、寅の日に休みとなる火葬場があります。
筑紫野市|葬儀の開始前に遺族と親族のみでいただくお別れ膳
筑紫野市では葬儀当日開始時間二時間ほど前に、遺族・親族のみでお別れ膳をいただきます。そして火葬後、または繰上げ法要を終えた後は導師様を迎えての精進料理、「揚げ」をいただくのがしきたりです。
北九州市の一部地域では、このお別れ膳を出だし膳と呼ぶところもあります。また、北九州市の火葬場内には食堂が併設されている所があり、火葬中にいただく事も。儀式というより、現代では昼食をいただく感覚となっているところもあるのでしょう。
直方市|すぐに枕団子を作るのは故人の善光寺参りのため
直方市の一部地域では、枕飾りの団子をすぐに作る習わしがあります。
「牛に引かれて善光寺参り」「一生に一度は善光寺詣り」、人は死後すぐに善光寺参りをすると信じられていました。浄土へ行く前に、善光寺さんへお参りにいく故人へのお弁当が枕団子です。
白木位牌は2つ|野位牌は棺に入れて火葬
福岡県の多くの地域では、大小2つの白木位牌を用意します。
一つは大きい位牌で、出棺の際に遺影と共に遺族が胸に抱えて火葬場へと向かい、その後は本位牌と取り替えられる四十九日まで仮位牌として自宅で安置されます。
小さい方は野位牌と呼び、葬儀の際に棺に納めて共に火葬されます。この野位牌は故人を埋葬した所に置く、土葬時代の名残です。
まとめ 福岡県は都市部以外では寺院葬が多くおこなわれ、昔ながらの葬儀儀礼が受け継がれている
福岡市内では葬儀社によるホール葬や家族葬が多く、葬儀のしきたりも画一化されつつあります。
しかし郊外や、三大祭りがある博多区や北九州市など他地区では昔ながらの自宅葬や寺院葬が行われている地域もあります。
土葬時代のような野辺送りは無くなったものの、地域の人々によって地元や家に残る習わしが受け継がれているのです。