鳥取県のお葬式・葬儀|葬式饅頭のかわりに法事パンと海上他界信仰の習俗

投稿:2021-05-11
鳥取県のお葬式・葬儀|葬式饅頭のかわりに法事パンと海上他界信仰の習俗

鳥取県では、奈良時代より神仏習合としての霊山である「大山」は亡くなった人が向かう場所とされていました。そして遙か海の彼方に常世があると信じられていた海上他界信仰、これら民間信仰からくる習俗があります。

鳥取県は寺院数が少ないものの、信者数は多く葬儀も仏式が主流です。特に県東部は寺院が少なく、仏教徒であると同時に地域の神社の氏子として祭祀に参加したり手伝ったりと、人々の生活に神仏習合が根付いています。

県全域では曹洞宗が圧倒的に多く、葬儀の際には魔除けの刃物を置いたり、山間部の一部地域では火葬場へ送る際に鼓鈸を鳴らしたりする慣習が残っています。

粗供養品(茶の子)にあんぱんやクリームパンなど、法事パンと称されるパンが会葬者に渡される慣習は、全国的にも珍しいです。

現在でも土葬がおこなわれる地域があるなど、鳥取県の葬儀と慣習を紹介します。

鳥取県の葬儀の特徴

倉吉市など中部地方は後火葬、境港市含む西部地方は前火葬(骨葬)、鳥取市含む中部地方は前火葬もしくは後火葬で弔います。

東部山間部や中部地方の一部地域では、葬儀や法事に赤飯を出す慣習が見られ、地域によっては会葬御礼品に不祝儀袋が用いられることも。

会葬御礼品を「茶の子」と呼び、法事パンを渡す慣習がある地域があります。

香典返しは満中陰志として、四十九日の忌明け後に送られるのが一般的です。

東部は寺院数が少なく神道系が多いのが特徴で、神式の葬儀が一般的である集落もあります。西部では寺院葬が行われることも多いです。

葬祭業者主体の葬儀が主流となっていますが、郊外や山間部では今も隣組などによる地域主体での葬儀が執り行われています。男性は葬具作り、そして女性は料理作りを手伝います。

法事パン|西部地方

鳥取県では、「法事パン」と呼ばれるパンを喪家が用意し、通夜に訪れた人に渡す慣習があります。

これは、山陰地方の一部地域に見られる慣習で、静岡県では「平パン」、埼玉県など他地域では「葬式パン」と呼ばれているもの。

岡山県北部・島根県東部の地方では会葬者がパンを持ち寄りますが、鳥取県では昭和40年代以前はあんこ餅がいわゆる葬式饅頭として一般的でした。しかし、のちにあんパンに切り替えられていったと見られています。

パンの方が作る手間がかからず、夏場の保管方法の心配もなく気軽に食べられる点が、法事パンの普及に役立ったのではないでしょうか。

霊柩車にサラシ布を結びつける慣習|縁の綱(善の綱)

サラシの反物を綱状にして霊柩車に結びつけて、近親者と地域の人たちが霊柩車を引っ張るように歩きます。これは野辺送りの葬列が形を変えたものです。一定地域を超えた所でサラシを手放し、火葬場へと向かいます。

サラシを握っている間は死者はまだこの世と繋がっており、手を離した時点で故人は完全に死者として扱われます。鳥取県の山間部一部地域で、現在も受け継がれている「縁の綱」と呼ばれる慣習です。

ちなみに、他地域では善の綱とも呼ばれています。

山間部の一部地域では今も土葬が可能

鳥取県の山間部では、近年まで土葬が主流である地域が多くありました。

しかし、2000年の鳥取県西部地震の際に山崩れが起こった時に埋葬地も流れ出たことで、土葬だった地域も火葬で弔うようになりました。

現在、鳥取県在住の方で土葬にて弔われているのは年間1人いるかどうかと程度のため、土葬で弔われることはほとんどありません。しかし、現在でもその地域での土葬は可能です。

香典返しにキャラメル

境港市や米子市など西部地方の一部地域では、香典返しの品物と一緒に、祝儀袋に入れられたキャラメルが一箱添えられていることがあります。

これは、長寿を全うした人の葬儀が執り行われた際にみられる慣習で、いわゆる「長寿銭」の代わりです。

かつて小銭が入った花篭を振りまきながら、葬列を組んで野辺送りをおこなっていた頃の名残。この時、道に撒かれた小銭を拾うのは子供であったため、のちにお菓子になった地域もあります。

長寿銭として小銭を祝儀袋に入れて会葬御礼品や香典返しの品物に添える地域もありますが、鳥取県の場合はキャラメルに取って替わりました。

明確なた始まりは不明ですが、戦後誰かが始めたことが徐々に広まり、昭和40年代に入って葬祭業者が介在する葬儀が利用され始めるとともに広まったものとみられています。

地蔵信仰と海上他界信仰の習俗

前は海、背後に山、そして潟湖の中海を擁する東西に幅広い地形である鳥取県には、海上他界信仰と大山を御神体とした大山信仰(地蔵信仰)から、さまざまな風習が生まれました。

全域においては阿弥陀如来の天台浄土教の思想が浸透していたことで、埋葬の際に故人の顔を西の方角に向ける、枕直しの儀では北枕かつ顔を浄土の西に向ける頭北面西の葬送習俗など独特風習が多々あります。

亡くした我が子のために賽の河原で石積み|大山(だいせん)

天台宗別格本院大山寺の参道脇から入ると続く旧参道を進むと、幾つもの石が積み上げられた光景が広がる河原に出ます。ここは「賽の河原」と呼ばれ、親よりも先に死んでしまった幼子たちが三途の川を渡って成仏できずに、留め置かれて苦行を強いられる場所です。

賽の河原は日本各地にもある民間信仰の一つであり、親を思ってどれだけ石を積み上げても地獄の鬼によって崩されるという責め苦を、子供達は延々と繰り返し受けます。

ここ大山では、そんな子供達を哀れに思った地蔵菩薩が救済すると信じられています。大山は地蔵菩薩そのものであり、山を御神体にした神仏習合の地蔵信仰となりました。

亡き子供を見送ったあと、石を積み上げに訪れる親御さんもいます。

日本海側沿岸部に墓地が密集している理由|海上他界信仰

鳥取県では米子市など海岸沿いに墓地が多く見られます。中でも東伯郡琴浦町にある花見潟墓地は、海岸に沿って東西350mもの長さと2万基もの墓が集まる大規模の墓地です。お盆になると石塔に一斉に灯される灯が、夜の海にちらちらと映る様はとても幻想的です。

沖縄県のニライカナイや古代日本人の常世の国の思想、死者は海の遥か彼方にある理想郷に向かい、神となって戻ってくるとの会場他界信仰がありました。そのため、この地域一帯のお墓はすべて常世国がある海を正面に建てられています。

琴浦町には、初盆に供物を乗せた1mほどの精霊舟を海に流す風習がありました。しかし近年、精霊船の作り手が途絶えてしまったことで姿を消してしまいましたが、この風習も海上他界信仰によるものです。

まとめ〜鳥取県は都市部は家族葬など葬儀の簡素化が進み、山間部では自宅・寺院葬が多くみられる

都市部はもとより、郊外において葬儀の都市化が進んでいますが、山間部や地縁関係が強い地域では昔ながらの地元の人たちによる葬送儀礼が継承されています。

また、葬儀告別式は葬祭業者のホールを利用しても通夜は自宅でおこなう地域もあります。葬儀は自宅でおこなうものであるとの強い考えが、今も根付いている地域があるからです。

しかし民間信仰における葬送の風習に関しては社会の変容と継承者が少なくなり、近い未来、文献でしか見られない時代がくるのかもしれません。

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著者:葬儀のデスク編集部
葬儀のデスク編集部
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